多田野牧場



 右手の小指から始めて四本目、人差し指に扱いた刷毛を乗せた時、ふと思考が逸れた。胡坐をかいて手を差し出す成宮の股間が数十センチ先にある。正面にいるのだから目に入るのは当然であり、これまでも似たような体勢で行ってきたので今のように視界に入るのは初めてではなかったのに、どうしてだか、その時は意識が向いてしまった。
 成宮も慰めたりするのだろうか。多くの男がそうするように、多田野もまたそうするように、自らの手で持って自身を慰めることがあるのだろうか。
 きっとするだろう。この指で。
 コーティングを終えてゆっくりと手を離すと、多田野が取るよりも早く親指が持ち上がった。不自然に上向いたそれをぼぅと眺めていると成宮の首が僅かに傾く。ピントの合っていない顔がどんな表情をしているかまでは分からなかったが、催促するようにぴくりと動いたその指を、多田野は恭しく受け取った。

 それからというもの、多田野は手入れの時にそのことばかりを考えるようになった。はしたない事と自覚しつつも、胡坐の中心にあるその場所にどうしても意識が向いてしまう。履き続けて毛玉が浮いているスウェットの下にあるその場所に、彼はどんな風に触れるのだろう。包み込み、上下に動かして、柔く握りしめながら熱い息を吐くのだろうか。先端を指先でいじり、鋭い刺激に腰を疼かせて、最後は呻き果てる?
 まったくどうかしていた。尊敬する先輩の爪を世話しながら多田野の思考は不埒極まりないところにある。こんな事を考えていると知れたら金輪際彼の部屋に招かれることはない。それで済めばまだ良い方だ。最も最悪な結末は、想像するだに多田野の肝を冷やした。
 左手の爪を削られる成宮は大人しかった。暇なのか、くぁ、と小さく欠伸をしている。前に一度、好きなようにしていてくださいと言ったことがあるのだが、成宮は曖昧な頷きを返すだけで終始じぃとしていた。携帯でも雑誌でも、取れと言われればいくらでも取りにいくのにと思ったが、次の時にも同じように手ぶらだったので、多田野は何も言わないことにしている。考えてみれば、携帯にしろ雑誌にしろ指先を使うのだから、乾き切らないコーティングがよれてしまうと面倒である。だから彼は退屈を持て余しているのかもしれない。
 右手の小指から始まり、続いて左手の親指に移った多田野の手は無事にすべての指を手入れし終えた。最後の小指を離して道具を片づけていると「ねぇ」と成宮が言った。
「やってあげようか」
 それが自分の爪を指していると気付くまでに数秒かかった。無表情に近い顔は何を考えているのか分からず、多田野はとっさに「いえ、」と口走ってしまった。成宮の手を煩わせるわけにはいかないからと慌てて付け加える。真実そう思っていたが、言い訳がましく聞こえたので、きっと成宮もそう捉えただろう。
 心臓が嫌な音を立てるのを感じながら、多田野は生きた心地がしなかった。本音をいえば成宮に手入れをしてもらいたい。けれど十本の指が整え終るまで自分の目の前には彼がいるのだ。胡坐をかいて、少し前かがみになって手入れするその奥に、衣服に包まれた下半身がある。きっと自分は見てしまう。万が一、億が一にも、それが知られてしまったらもう生きてはいけない。
 道具をかき集めて、不自然にならない様努めて部屋を出た。おやすみなさいという言葉に成宮は返事をしなかった。
気を損ねてしまっただろうか。先輩の顔を潰してしまったかしら。けれども多田野は、自分の不埒な感情が白光の元に晒されるのだけは避けたかった。

-僕は問題ありません




 あんぐりと大口開けて噛みついてくる姿は接吻というより捕食に近い。文字通り舌を食まれて苦しいが、それよりも苦しいのが腹だった。体格こそ多田野の方が大きいけれど、三年間鍛え上げた成宮の腕力でもって締め付けられると物理的に苦しい。ただでさえ息がしづらいのだ。
 それでも気持ち良さの方が少しばかり勝っているので、苦しみながら成宮を受け入れている。成宮もそれをわかっていた。
 もう少し、あとちょっと、ギリギリのところを攻めながら二人で快感に浸っていると、急に多田野が胸を押した。緩やかな抵抗は何度も受けてきたが、ここまで急なものは初めてだったので、押された分だけ成宮の顔が離れる。
「なに、どしたの」驚いたように尋ねる成宮に曖昧な返事を返しながら、なおも多田野は距離を取ろうとしている。煮え切らない態度に唇を尖らせながら成宮は重ねて訊いた。
「俺のキスに文句でもあるわけ?」
「違います!」
「じゃあ何よ」
「えっと……そのですね……」
 早く言えとばかりに抱き締める腕に力を込めると、アッと声を漏らして肩を震わせた。何かを耐えている。
なおも逃れようとする多田野を閉じ込めていると、観念したのか小さな声で話し始めた。
「……ぃ、レ………」
「あ?」
「ト、トイレ……に…、」
 行かせてください、と呻く多田野の顔からは既に快感が抜けていた。腰回りをこれでもかと締め付けていたせいで膀胱が刺激されたらしい。この状況で言い出すのは相当恥ずかしかったのだろう、脂汗すら滲ませながら訴える多田野を見て、成宮はうんうんと頷いた。

-ボーイズインザWC




「しつっこいなーお前は! やるっつったらやるんだよ!」
「でもよく考えたら意味わかんないし、それなら普通に俺が鳴さんに挿れればいい話じゃないんですか?」
「それでいい話じゃないって俺言ったよね? 五十回は言ったぞ」
 そんなには言ってないだろう……と多田野は思ったが、面倒なので黙っていた。
 大人しくなった様子に観念したと思ったのか、成宮は念を押すように話し始めた。
「せっかくやるんだったら気持ちいい方がいいでしょ。大体、いつも俺が抱いてるけど樹ちょっと楽してない? いつもヒーヒー泣きながらイってるけど、積極性が足りないんだよね」
 ヒーヒーなんて泣いてはないです、と多田野は思ったが、ここで話を遮ると至極めんどくさいことになりそうだったので黙って聞いていた。
 成宮は続ける。以降の話は、要約すると自分も受ける側に回りたいということだった。横たわったまま喘ぐ姿が楽そうに見えるのだという。
 それが面白くないのが多田野だ。そりゃあ気持ち良いには変わりないが、ただ寝転んでいるだけだと思われては困る。そもそも排泄器官に性器をぶち込む等と訳の分からない行為に及んでいるのだから、女性よりも挿入には気を付けなければならない。肉体的にも衛生的にも大事なことだ。それをマグロだと言われるのはこちらも心外であると、多田野が口を開いたその時だった。
「あっ」
「いーからもう黙ってろ」
「うぅ……」
 少し冷たいローションを尻に塗りたくられる。もっと人肌に温めるとかしてくれよと言えたらよかったが、成宮曰く指が入ってしまえばすぐに温まるので、言ってもあまり効果がないのだった。
 慣らして、指を増やして、次第に多田野の目がとろりと重くなってくる。ここまではいつものことだ。遺跡発掘の第一人者であるような顔で多田野の尻をほじくっていた成宮は、手に持っていたものにもローションをたっぷりかけて、発掘作業中の穴に挿れた。

-さかさまの日