バーナビーがトイレから戻ると、虎徹が机に伏せて何事かをしていた。席を立つ前までは一応パソコンに向き合っていたというのにちょっと目を離すとこれだ。バーナビーはため息をついた。聞こえるように吐いたそれはちゃんと虎徹の耳にも届いたようで、伏せていた肩がびくりと揺れる。「……おかえり〜、バニー……」おずおずと振り返った虎徹が誤魔化すようにへらりと笑う。やべぇという気持ちを隠さず顔に出しているものだから、バーナビーは怒るよりも先に呆れてしまった。まるでいたずらの見つかった子供じゃないか。
バーナビーの怒りを逸らそうとしているのか、意外と早かったなぁなどと話しかけてくる声を無視して席につく。早かったも何もトイレに行っただけだ。変に時間がかかるほうがおかしい。そう返事をする代わりに、「で」、仕事もしないでなにやってるんです? とバーナビーは尋ねた。
「えっと……」
「怒らないから、正直に話してください」
目を泳がせる虎徹に『早く言え』という意味を込めて視線を送ると、観念したように息を吐いた虎徹は「紙飛行機」と言った。聞きなれない単語に、カミヒコーキ? とバーナビーは眉を寄せる。
「なんですかそれ」
「ん? バニーちゃん紙飛行機しらねーの?」
「『カミヒコーキ』という言葉自体、今初めて聞きましたよ」
「あー、そっか。折り紙だもんなぁこれ」
そりゃあ知らなくて当然だわ、と納得したように虎徹が頷くが、バーナビーには何のことだかさっぱりわからない。折紙というからイワンのことを指しているのかと訊けば、そうではないと言う。
「これな、折り紙っていう日本の遊びなんだよ」
言うや否や、手元の紙――ちらりと賠償金という文字が見えたのでいつもの督促状だろう――を引き寄せた虎徹はそれを二つ折りにし始めた。かと思えばそれを開き、今度は中央に出来た折り目に沿って紙の両端を揃えていく。手際よく動く虎徹の指によって一枚の紙が見る見るうちに形を変えていく様子をバーナビーがじっと見つめる中、「出来た!」と虎徹が声を上げた。「これが紙飛行機だ!」
あっという間に出来上がったそれは、なるほど飛行機と言われればそう見えたが、バーナビーの頭に最初に浮かんだイメージは逆さまのヨットだった。上を向いている、二辺がやけに長い三角形がヨットの底で、虎徹が持っている部分が帆だ。それだけ短ければ転覆もするだろう、とバーナビーは思う。そして虎徹によると、このヨットは空を飛ぶらしい。
そんな馬鹿な。声にこそ出さなかったがそれは相手に伝わったようで、見てろよ〜と虎徹が手に持ったそれを手放した。あ、と思わず声を上げたバーナビーの目の前で、放たれた逆さまのヨットはすっと弧を描いて机の向こう側に飛んでいく。それを見て今度は虎徹が「あ」と声を上げた。この部屋にいるのはバーナビーと虎徹だけではない。
ぽすん、と音を立てて落ちてきた紙飛行機、それから虎徹を見る経理の目は、遊んでないで仕事しろと静かに語っている。いそいそと紙飛行機を回収に向かう虎徹を尻目に、バーナビーは姿勢を正してパソコンに向き直った。
「あってめ、ズリーぞ!」
何か聞こえた気がするが、バーナビーは無視してキーボードを叩いた。






虎徹の家で酒を飲んでいる最中、いい感じに酔いの回った虎徹が急にそうだ! と立ち上がり歩き出した。虎徹さんどこいくんですかぁー。同じようにいい感じに酔いが回っているバーナビーが舌足らずな声を出す。そんなバーナビーに「おー」だか「あー」だか返事とも言えないような声を返しながら虎徹はリビングを出ていってしまったので、暇になったバーナビーは持っていたグラスを置いて虎徹のそれに手を伸ばした。確か中身は焼酎とかいう日本酒だった筈だ。日本酒は飲んだことがないので興味本位で口をつけたのだが、舌を焼くようなカッとした味にバーナビーは盛大に噎せる。ビールを飲んでいたならばいくらかマシだったかもしれないが、生憎グラスの中身はロゼワインだ。系統が異なりすぎている。
「うぇッほ、げほ、ぅぐっ」
「えっ!? バニーちゃんどうしたの!」
帰ってくるなり苦しそうに噎せている相棒に虎徹は焦った。みずみず! とキッチンに向かい洗ってからそのまま出しっぱなしにしていたグラスに水道水を汲み、未だ噎せているバーナビーに手渡す。もらうやいなや水を一気に飲み干したバーナビーの背中をさすってやりながら大丈夫か? と声をかけると「はい……」と呻くような声が漏れた。
「もう大丈夫です。お騒がせしました」
「よかったぁー、おじさんびっくりしちゃったよ。そのまま死ぬのかと思ったわ」
縁起でもないことをケラケラ笑いながら言う辺り、やはり酔っぱらっている。自分だって先ほどまで甘えた声を出すくらい酔っていたくせに、喉に流し込んだ冷たい水のおかげで幾分頭のすっきりしたバーナビーは目の前の酔っ払いを若干めんどくさく思った。なんとも身勝手である。ツボに入ったのか笑いが止まらない虎徹を適当にあしらっていると、何かを持っていることに気づいた。じいと見つめる視線の先が自分の手の中だと知った虎徹が赤ら顔で笑う。
「これはぁー、折り紙!」
折り紙? 折紙先輩がなんだ? と数秒考えたところで、ああ、と思い出す。「逆さまヨット」バーナビーの言葉に、ん? と虎徹が首を傾げた。
「ヨット?」
「いえ、こっちの話です」
なんだったか、前に作っていたアレの名前は、ええと、なんだっけか。あれからひと月ほど経っているというのもあるが、『逆さまのヨット』の印象が強すぎて名前が思い出せない。しかし普段「アレだよアレ! ほら〜思い出せないけど……その……アレだよ!」と言っている虎徹を馬鹿にしている手前、なんでしたっけとも訊けない。酔っている虎徹は気にしないかもしれないがプライドの問題だ。バーナビーはつまみを食べるという誤魔化しをしながらなんとかアレの名前を思い出そうとしたが、努力も空しく虎徹はあっけなく正解を口に出してしまった。
「ちゃんとした紙飛行機をバニーちゃんに見せてあげようと思ってな!」
(……ああ! そうだ、カミヒコウキだ!)
ビールやワインを避けてテーブルの上にスペースを作る虎徹に、ビーフジャーキを噛み千切ったバーナビーは「お手並み拝見といきますか」などとわけの分からないことを言ってしまった。それくらい必死に思い出そうとしていた所為もあるが、やはり、バーナビーもそれなりに酔っ払っているのだ。


フンフンと鼻歌を歌いながら虎徹は紙を折っていく。今回は督促状ではなく、片面に色や模様がついた正方形の紙だった。それらを加工していく手つきを眺めているうちに、バーナビーはすっかり忘れていたあの日のことを段々と思い出していた。あの日もこんな風に、なんでもないことのように虎徹は紙を折っていた。半分に折って、広げて、折り目に沿って両端を折って、その端をさらに折り込んで、何度か内側に折ったと思ったらひっくり返し、また折って。最初に両端を折って、そこからさらに折り込んだ時点でバーナビーは理解するのを諦めた。
それから少しぼんやりしている間に紙飛行機は出来上がっていた。前回と比べて紙が小さいからか、幾何学模様のそれは今度こそバーナビーにも飛行機に見えた。
「でも民間機よりはステルスっぽいですね、これ」
「真面目だねバニーちゃん……」
そう言いながら、シュッとしてるしね、と虎徹も頷く。物珍しそうにしげしげと紙飛行機を眺めるバーナビーに、飛ばしてみれば? と虎徹が言った。
「飛ばす……」
前に虎徹が飛ばしているところをバーナビーが見たときは、飛ばすというより宙に放っているという感じに見えた。見切り発車が好きではないバーナビーは虎徹を仰ぐが、習うより慣れろ精神の虎徹は何も言わずにただ頷く。とりあえずやってみろと顔が言っている。
そうしてとりあえずやってみたバーナビーだが、勢いもなしにただ空中で放られた紙飛行機はそのまま床に落下した。くしゃり、と紙がこすれる音が聞こえる。一拍置いて、ゲラゲラと笑う虎徹の声が部屋中に響いた。
「バニーちゃ、それ、手ぇ離しただけじゃねーの!」
ヒィヒィと息を切らしてまで笑う虎徹に、真っ赤な顔で拾った紙飛行機を投げつける。「だから教えてくれって言ったじゃないですか!」これだから見切り発車は嫌なんだ! と今にも能力を発動して天井から飛び出していきそうなバーナビーに虎徹が凭れ掛かって止めた。
「ヒヒ、いや、悪かった、そうだよな、お前紙飛行機初心者だもんな」
「ほんとですよ。反省してください」
「ごめーんね。許して?」
むくれるバーナビーの首に腕を回した虎徹は、むちゅ、と頬に唇を押し付ける。
「うわっ酒クサッ。あっち行ってください。シッシッ」
「ひっでー! 言っとくけどお前も結構酒臭いかんね!?」
ぎゃあぎゃあと騒いで、じゃれるのに飽きた二人が酒盛りを再開するとビーフジャーキーを咥えながらバーナビーが虎徹に折り紙を差し出した。「お前ビーフジャーキ好きなの?」ブチィと肉片を噛み千切りながら頷いたバーナビーは、さっさと受け取れと言わんばかりに折り紙を揺らす。
「なに? もっと作れって? んもーしょうがないなぁバニーちゃんは」
「さっきのとは他の形でお願いします」
素直な返事に、あら珍しいと虎徹が口笛を吹く。
「よーしおじさんがんばっちゃうぞー!」
そうして虎徹が作った紙飛行機は、バーナビーのリクエスト通り先ほどのものとは違う形をしていた。こちらは先端が尖っていない代わりに羽の部分が広く、さらに羽の端が上を向いている。なんだこれ、と目を丸くするバーナビーに気を良くしたのか、虎徹は様々な紙飛行機を作っていった。


空き缶や空き瓶に混じってわらわらと散らばる紙飛行機をひとつひとつ眺めているバーナビーに、折り紙を丁寧に折りながら「昔さぁ」と虎徹が話し始めた。
「俺とカミさんがまだ高校生だった頃さ、付き合い始める前に一回だけラブレター書いたことあんだよ。俺」
語られた内容は衝撃的だ。虎徹がラブレターだと。紙飛行機をしげしげと眺めていたバーナビーは、驚きのあまり手の中のそれを落としてしまった。
「……ワァオ……」
「っだ! わぁーってるよガラじゃねーってことくらい! あんときは若かったの!」
お前失礼だぞ! と顔を赤くしながらも、んでよ、と虎徹は話を続ける。
「あ、続けるんですね」
「うっせ。んでまぁ、書いてみたんだけど、やっぱ恥ずかしくてさー」
「何枚くらい書いたんです?」
「一枚。んな書くことねぇって、恥じぃもん」
「へぇー」
「一目惚れでしたとか、いつも真面目に授業を受けている姿が素敵だとか……もぉー! 言わせんなよ! 恥ずかしいな!」
「何も言ってませんよ」
あんたが勝手に言い出したんだろとジト目を向けても酔っ払いには効かない。バニーちゃんのテクニシャン! だかなんだか言いながら、でさぁとまた話を続けた。まだあるのか。
「書いたは書いたんだけど、どーっしても渡せなくてよ」
「机の中に入れればいいじゃないですか」
「でもさーそしたら俺の手紙読まれるわけだろ? そう考えるとやっぱ恥ずくて……」
「じゃあなんでラブレターなんて書いたんですか」、なんて野暮なことは聞かずに、バーナビーは、へぇ、とだけ相槌を打ってまた別の紙飛行機を眺める。
「踏ん切りつかなくて、もー捨てちゃお! って思ったんだけど、まさか学校に捨てるわけにもいかないし」
誰かに見られたら恥ずか死ぬし、と色紙に折り目を付けながら虎徹が言う。
「だからって家のゴミ箱に捨てんのもさぁ、間違ってかーちゃんに見られたりしたらそれこそ死んじゃうし」
「で、結局どうしたんです?」
中々結論にたどり着かないのに焦れたバーナビーが急かすと、虎徹は出来上がった紙飛行機を持ち上げながら「これにした」と言った。
「ラブレター渡すのも、面と向かって好きだのなんだの言うのは照れくさいけどさ、紙飛行機にして飛ばしたら、もしかしたら届くかなーって。あっもちろん名前は消してな! とんだ羞恥プレイになっちまう」
まぁ名前書いてないから読まれても誰からかわかんねーんだけど。けらけらと笑って、懐かしそうに虎徹が手の中のそれを眺める。「案外ロマンチストなんですね」意外そうな顔をするバーナビーに、男はみんなロマンチストなんだよ、と笑いながら紙飛行機を投げた。すぃ、と部屋を横切ったそれは、最初からそこを目指していたかのように写真立てや両親からもらったおもちゃなどが置いてある場所に飛んでいった。










写真立てに凭れ掛かるように縦に置かれた紙飛行機を見て、バーナビーはいつだかの酒盛りを思い出した。あれから酒の勢いもあって、調子に乗って馬鹿みたいに紙飛行機を折りまくったんだった。邪魔になるからと全部虎徹に持って帰らせたと思っていたが、こんなところに残っていたとは。そういえばこっちに飛ばしていたな、と紙飛行機を持ち上げたバーナビーは、同時にラブレターの話も思い出した。
『面と向かって好きだのなんだの言うのは照れくさいけどさ、紙飛行機にして飛ばしたら、もしかしたら届くかなーって』
確か虎徹はそんなことを言っていたような気がする。それに対して、随分ロマンチックなことを考えるもんだ、と思った覚えもある。今考えても大概ロマンチックすぎるが、悪くないなぁとも思うのだ。バーナビーは少し考えて、紙飛行機をおもちゃの横に置いた後、紙とペンを取りに行った。

必要最低限のものしかないこの家には、もちろん便箋なんてものはなかった。バーナビーはスケジュール管理も携帯で済ます現代っ子なので手帳も持ってない。紙らしい紙といえばメモ帳くらいだったので、折れればなんでもいいやとメモ帳を手に持って椅子に座った。
宛名は書かず、そのまま本題に入る。
『いつも食事の心配をしてくれてありがとうございます。最初は鬱陶しく感じていましたが、今では聞かれないとちょっと物足りないくらいです』
ここまで書いて、バーナビーはぐしゃぐしゃと文字をかき消した。なんだこれ。すごく恥ずかしい。日ごろ思っていることを書いてみようと思い立ち、書いてみたはいいがこれは恥ずかしすぎる。まだ一行しか書いてないのにこの破壊力なら、すべて書き終えたときにはどんな爆弾になっているというのか。しかも虎徹はこれをラブレターでやったのだ。結局渡さずに終わったが、初めは渡すつもりで書いていたんだろう。なんたる勇気。なんたる猛者。勇者コテツだ。
一行埋めた時点で早くも諦めかけたバーナビーだったが、どうせ渡すわけではないのだし、間違っても見られるようなことはないだろうと思い、再びペンを持つ。書き損じた一枚をゴミ箱に入れて、新しいそれに文字を書いていく。

『いつも食事の心配をしてくれてありがとうございます。最初は鬱陶しく感じていましたが、今では聞かれないとちょっと物足りないくらいです。あと、以前にヒーローのみなさんで行ってくれたバースデーサプライズも、当時はそっけない態度を取ってしまいましたけど、本当はすごく嬉しかったんですよ。あの人形は汚さないように大事にしまってあります。』

心を決めてしまえば筆は進むもので、あっと言う間にメモ帳は最後の行まで埋まってしまった。『これからもよろしくお願いします。』と締めくくったあとに少しだけスペースがあったので、バーナビーは小さく『好きです』と加えた。別に変な意味じゃない。端的になったのはスペースの問題だ、と妙に気恥ずかしくなっている自分に言い聞かせながらバーナビーはメモ帳を破り、丁寧に折った。
あの時山ほどの紙飛行機を折って作り方もマスターした筈だったが、数日で紙飛行機ブームが去り折らなくなったためすっかり忘れてしまっている。こうだったか、ああだったかと四苦八苦しながらも完成した飛行機は、バーナビーが思い描いていたものよりはスマートでなかったが、逆さまヨットの形は取っていたのでひとまずは成功だろう。何度もやり直した所為でぐしゃぐしゃだが飛べばいいのだ。
さすがに窓を開けることは出来ないので、バーナビーは部屋の入り口に立ってそこから窓めがけて飛ばすことにした。風に乗せて届けることが目的ではなく、ただちょっとやってみたかっただけなので問題ない。虎徹から習ったうまい飛ばし方を思い出して、バーナビーは紙飛行機を宙に投げた。


出だしは好調に見えたものの、飛行機は部屋の半分あたりで下降してそのまま先端から墜落した。くしゃ、と紙が擦れる音がどこか物悲しい。のろのろと飛行機を取りに歩いたバーナビーは、持ち上げた紙飛行機を丸めてゴミ箱に投げ入れた。








♪紛れて誰を言え/20111115