孤児だった自分を引き取り、14年間たくさんの愛情を注いでくれたイスカンダルの葬儀が終わった後、ウェイバーはケイネスを尋ねた。とうに日も暮れた時分に連絡もなくやってきた教え子に怒るかと思いきや、ケイネスはウェイバーの顔をみて眉を顰め、入りなさいとだけ言った。入りながら、嫌味のひとつもないなんて珍しいですねと言うウェイバーに返ってきたのは、つまらなそうに鼻を鳴らす音だけだ。そんな顔で来られたら何も言えないだろう。小さな呟きを、ウェイバーは聴こえないフリをした。
ケイネスの研究室はたくさんの機械で溢れている。ロボット工学の権威でもある彼は、人工知能を有するアンドロイドを専門としているため壁際に沿ってたくさんの『中身』が正しく整列していた。いつ見ても壁際には鈍色のそれが整列しており、それ以外のところには専門書や論文の束、部品かなにかとも付かぬ様々がごちゃごちゃと置かれている。紅茶でいいかね、というケイネスの言葉を断って、ウェイバーははっきりとした口調で「僕を弟子にしてください」と言った。「……まぁ、予想はしていたが」小さく息を吐いたケイネスに、弟子にしてくださいとウェイバーは繰り返した。「やりたいことがあるんです」だからそのやりたいことが問題なのだと眉根を寄せながらウェイバーを見る。いつも小生意気なことばかり口にする教え子は、養父の葬儀を終えてきたとはとても思えないほどいつも通りの顔をしていた。それも問題なのだ。「……アンドロイドは、「わかってます」ケイネスの言葉を遮るように、わかっています、と繰り返す。「骨を拾ってきたんです。ちゃんとわかってます」わかっています、と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すウェイバーに、ケイネスはもう何も言えなかった。






ウェイバーが一人目のイスカンダルを造ったのは、ケイネスの元に弟子入りしてから六年後、二十五歳の時だった。通常規格よりもかなり大型の中身をつくり、人工筋肉を張り、皮をつけて、目を入れた。皮膚には人工毛を植えたので筋肉の張った腕や首には人間のように産毛が生えている。眼球もとろみのある膜に包まれて、じっくり見なければ本物と見紛うほどだ。技術は日々進化している。六年前であれば出来なかったことも今では出来るのだ。故人の声を再現することも、擬似心臓を入れることも、こうして一人でアンドロイドを造ることだって。

『アンドロイドは人間ではない』

ウェイバーが師の元を立つときにかけられた言葉だ。いくら知能を与えても、皮を似せても、鼓動を生んでも、それは人間ではない。六年前に中途半端で終わった言葉を相変わらずの顰め面で言ってくるケイネスに、ウェイバーも六年前と同じようにわかっていますと返した。ちゃんと分かっています。代わりのつもりじゃないんです。大丈夫、わかっているといくら言っても信じていない様子の師は、それでも最後には息災を願って送り出してくれた。自分を心配してくれているというのはウェイバーにも分かっていた。「代わりとか、そんなんじゃないんです」台に横たわるイスカンダルは、目を瞑っているせいで寝ている人間のようにみえる。でも人間じゃない。ウェイバーはちゃんと分かっている。このまま放っておいても起きてきやしないというのもわかっているので、ウェイバーはイスカンダルを起動させることにした。小さな機械音が数秒続いたあと、ウェイバーの目の前でイスカンダルは瞼を開き、屈強な体を起こした。彼がいる。あいつが、イスカンダルが動いている。ウェイバーは今にも叫びたい気持ちを抑えて「イスカ」と彼を呼んだ。イスカンダルは緩慢な動きで首を動かし、ウェイバーを見てからきっかり三秒後に「おはようございます、マスター」と言った。

ウェイバーの目の前には、顔がひしゃげて中身がむき出しになったイスカンダルが横たわっている。ウェイバーがやった。その辺にあった工具を掴み、力の限りその顔を殴りつけた結果だ。はぁはぁと息を乱しながら、失敗した、とウェイバーは思った。自分の名前をプログラムに入れ忘れていた。彼は自分におはようございますなんて丁寧な言葉を使わないし、マスターだなんて呼ばない。そうだ言葉遣いも変えるのを忘れてた。ああクソまたやりなおしだ。はあ、と大きく深呼吸をして息を整えたウェイバーは、見るも無残な顔と綺麗な胴体を見比べて、首から下は使いまわすことに決めた。材料費も安くないので。






それからすぐにウェイバーは頭を作り直し、いくつかの変更を加えてイスカンダルを起こした。これが二人目。むくりと起き上がったイスカンダルは、ウェイバーの呼びかけに対してにかっと笑いながらおう坊主、と言った。ウェイバーは喜び、イスカンダルに抱きついた。右手に持っていた工具がごとりと落ちるが、そんなものは放っておく。なにせイスカンダルが目の前にいるのだ。ウェイバーは遺品でもある彼の服を着せて、イスカンダルを連れてリビングに行った。「お前煎餅好きだったろ、いっぱいあるからたくさん食えよ。ゲームもあるぞ。一緒にやろう」日本の菓子やおもちゃを好んでいたイスカンダルの影響もあって、ウェイバーの家には煎餅やらゲームやら緑茶やらが揃っている。普段はコーヒーや紅茶しか飲まないウェイバーも煎餅を食べるときだけは緑茶だ。煎餅には緑茶が一番合う。むしろそれしか認めない。それはイスカンダルも同じで、だからきっと喜んでくれるだろうとウェイバーは思っていたのだが、イスカンダルは手渡された袋入りの煎餅を不思議そうな顔で見ながら「坊主、これは食べ物なのか?」と言った。

陥没した後頭部の中でパチパチと小さく散る火花を見て、ウェイバーは頭を抱えた。わざわざ研究室から持ってきた工具は前回同様イスカンダルの頭を見事にへこませた。ああまた失敗した。食べ物という概念を入れ忘れていた。というかそもそも飲食が出来るように造っていなかった、とここで気づく。何も反省していないじゃないか。ため息をついたウェイバーは、落ち着いて考えた。そうしてよくよく考えてみると、皮と声と自分の名前以外なにも設定していないということに気が付いた。イスカンダル(の外面)が出来た喜びで、好きなもの、苦手なもの、癖、ゲームの操作方法などなど、彼の中身をすっかり忘れていたのだ。あー、と天を仰いだウェイバーは、それから横にあるべこべこになった頭と綺麗な胴体をみて、一回目と同じことを思った。材料費を気にするならまず頭をひしゃげることをやめればいいのだけども、せっかく起き上がったイスカンダルをスイッチオフにするのはいかにも機械みたいで嫌なので仕方なしに強硬手段に出ているのだった。『機械みたいで嫌だ』と考えている時点ですでにお前は間違っているのだとウェイバーを正してくれる人はここにいないので、ウェイバーはうんうん呻りながらこの巨体をどう研究室まで運ぼうかということだけを考えている。






三人目のイスカンダルは、熟考を重ねただけあって問題なく過ごせた。中身をしっかり入れたので煎餅も食べられるしゲームもできる。ウェイバーをからかい、ウェイバーもそれに腹を立てたり笑ったりして、楽しい時間を過ごしていた。欲しかったものがやっと手に入ったウェイバーは嬉しくて何度も泣きそうになった。また大きな手で頭を撫でて欲しい、坊主と自分を呼んで、たまにウェイバーと名前を呼んで欲しい、一緒にゲームがしたい。いくら外見や中身を似せても所詮は機械だということはもちろん分かっていた。まん丸な目をよく見れば瞳孔の中で回る歯車があって、皮膚に爪を立てれば剥がれた向こう側には人工筋肉があるけれど、よく見たり皮膚を剥いだりしなければ分からないままだ。泣いてばかりいた5歳の自分を抱き上げてうちに来るかと笑い、六年前に死んでしまったイスカンダルが今目の前にいるということが大切なのであって、中身は機械でもよかった。彼を形作っていたものをすべて詰め込んだのだから、きっとこのイスカンダルの頭をべこべこに潰すこともないだろう。「おう、ちょっと煎餅取ってくれ」「どれ」「それだ、醤油のやつ」この先もずっと続く穏やかな日々を想いながら、ウェイバーはイスカンダルに煎餅をやった。満ち足りた気分だった。

南国の島を特集したテレビに影響を受けたイスカンダルが海を見たいと言い出したので、その日は二人で海に行った。夏であれば海水浴をしに来た人々で埋まっていたのだろうが、息も白い寒空の下では人っ子一人見当たらない。海風で凄まじく冷えるが二人だけで心ゆくまで海を見られるのはウェイバーにとって喜ばしいことだった。
とはいえ寒いものは寒いので、赤いコートのポケットに手を突っ込んで首を竦めながら、マフラーを持ってくればよかったとウェイバーは思った。天気予報で今日の気温は知っていたが、ほとんど外に出ないのでそれがどの程度の寒さなのか分からなかったのだ。震えるとまではいかないものの体を縮こまらせるウェイバーとは対照的に、イスカンダルは波打ち際ではしゃいでいる。防寒着がコートだけなのは同じなのに、寒さなど関係ないといわんばかりに砂に埋まる貝殻を拾ったり、ぴょんぴょん跳ねるトビムシをいちいち捕まえたりしている様は、まるで初めて海にきた子供のようだった。
計画性もなく、昼過ぎにせがまれるままやってきたので、そろそろ夕暮れも近い。ただでさえ寒いのに日が沈めばどれほどだろうと身震いしたウェイバーは、砂に足を取られながら仁王立ちで海に向かうイスカンダルのところまで歩いた。そろそろ帰るぞ、と隣に立つと、イスカンダルは地平線を眺めたまま「海は広いなぁ」、それに大きい、と童謡のようなことを言う。
「なぁ坊主、海の向こうには何があるんだ」
「何っていうか…、普通に国があるよ。僕たちと同じように人が生活してる」
言いながら、ウェイバーはふと昔を思い出した。まだ自分がイスカンダルの膝くらいしかなかった頃、初めて海に連れてこられて同じことを聞いたのだ。幼いウェイバーには途方もなく続く海の果てに人が住んでいるとはどうしても思えず、そんなのうそだ、ずっとうみなんだと頑なに言い張っていた。季節こそ夏だったが、ちょうど今と同じように夕陽が海に沈んでいく時刻だった。それを見てウェイバーは益々あの向こうに人がいるわけないと思ったのだ。太陽が沈んでいくんだから人がいるわけない、あっちは太陽の場所なんだからとかなんとか、乗せられた肩の上でいつまでもそんなことを言い募っていた覚えがある。
「何を笑っておる」
イスカンダルに訊かれて、ウェイバーはクスクスと思い出し笑いをしながら今自分が思い出したことを彼に話した。イスカンダルは黙って耳を傾けている。そんなこともあったなぁと思っているのだろう。肩車のくだりまで話し、「言わなかったけど、あれ結構楽しかったんだ。いつもと全然違う景色でさ」もう出来ないだろうけど、と笑いながら締め括ったウェイバーに、「そんなことあったかぁ?」などとつれないことを言う。
「あったよ。夕陽がすごくきれいだったじゃないか」
そもそも海の向こうの話になる前に、夕陽がきれいだぞ、坊主も高いところから見てみろ、とウェイバーを肩に乗せたのはイスカンダルの方なのだ。なんて薄情なやつだ、と口を尖らせるウェイバーに、「でもなぁ」とイスカンダルは顎を撫でる。「海に来たのは今日が初めてだぞ」。






アンドロイドは人間ではないので、人間と違って何かを忘れるということはない。予め組み込んだことはそれを消さない限り絶対に忘れないけれど、組み込んだものがすべてなのでそれ以外のことは何も知らない。ウェイバーはイスカンダルに『イスカンダルらしい』色々なものを詰め込んだけれど、それだけだった。二人で出かけた場所、そこで交わした会話、得た思い出、そういうものをウェイバーは詰めていないので、イスカンダルが知らないのは当たり前だった。波打ち際で子供のようにはしゃぐ様子を見た時点でウェイバーはそのことに気づくべきだった。
代わりがほしかったわけじゃない。ウェイバーは養父の死を受け入れている。棺が炎に差し出されるのを見届け、残った骨を拾った。親が居ないと生活できないような歳でもない。14年という歳月はけして長いとはいえないが、短いというにはたくさんの思い出が詰まっている。それがあれば大丈夫だと自分でも思っていたのだけれど、すべてが終わって帰った家はとても広かった。イスカンダルはあまりお目にかかれないような巨躯だったので、二人しか住んでいない家も広く造ってあった。年の割に発達のよくないウェイバーがひとりで暮らすにはこの家は広すぎたから、
それがなんともくだらない言い訳だということは、ウェイバーが一番わかっている。






「どうした坊主、具合でも悪いのか?」急に黙り込んだウェイバーをイスカンダルが心配そうに伺う。いつの間にか夕陽は沈みきっていた。泥のように暗い海を眺めながら「大丈夫」、なんでもない、と返して、「帰ろうか」とウェイバーは言った。
「うむ。腹も減ったしな」
より一層冷えた潮風に、おお寒い、と大げさに腕をさすりながらイスカンダルは前を歩く。少しずつ遠くなっていく背中を見ながら、食事の前にやり直さなければいけないとウェイバーは思った。




(気が付けば悪夢)
20120130