時臣は家族団欒というものに憧れていた。卓を囲み、他愛ない話をしながら揃いの茶碗で食事をする、そんなある意味では当たり前のことを時臣は一度でいいからしてみたかった。別に家族仲が悪いわけではない。両親は時臣を愛してくれるし、彼らも互いにパートナーを労わっている。ただ仕事が忙しく食事を共に取れないだけで。
母の帰りは遅く、父はもっと遅いので、学校から帰った時臣はいつも先に夕食を取っていた。母が作り置いてくれたものだったり、できあいの惣菜だったりをひとりで食べるのは味気ないものだ。時臣がひとりで食事をしている間、隣家からは楽しげな声が聞こえてくる。こども二人の声と母親、そして父親の笑い声。内容までは聞き取れないがひどく楽しそうな様子は十分伝わってきて、彼らと同じ時間に食事をするとまるで一家の一員になったような気がした。時間が合わないときはとても静かで箸も進まない。何度かそうっと覗き見た家族らは銘々に色合いの違う蓋付きの飯茶碗を使っていた。子どもらは小ぶりなものを宛がわれており、小さい方の子は椀の蓋にほんの少しのおかずを取り分けてもらっていたり、ある時は熱々の煮物を冷ましていたりした。
一度、もっと近づきたいと思い隣家の軒下に潜んだことがある。ご飯におかずを乗せた茶碗を持って、楽しげに話す家族らの声を聞いていたのだが、途中にうっかりくしゃみをしてしまった。静まる声。誰かが立ち上がる音がする。見つからないようにと必死に成りを潜めている時臣の頭上で窓が開いた。顔を出した主婦は家に引っ込むと、洗面器に水を汲んできて勢いよく窓の外に撒いた。猫を追い払うには水をかけるのが一番いいらしいの。二度とこないそうよ。そう家人に話しかけながら窓を閉める。時臣はびしょぬれになって家に戻った。
時臣にとって椀付きの茶碗は、家族団欒に欠かせないものだった。しかし最近ではほとんど見かけず、蓋の無い茶碗ばかりが店先に並んでいる。見つけたとしても五客揃いか夫婦碗だ。独り身に五客は多すぎるので一方が壊れた時に使えばいいと夫婦椀を買おうと思ったことがあるのだが、贈り物か自宅用かと聞かれて自宅用だと答えた時に、奥様によいお土産ですわねと言われ、品物を置いて帰ったのだった。


ある日、郵便受けに案内状が投げ入れられていた。骨董品を置いている店らしい。骨董商ならば蓋付きの椀があるのかもしれない。時臣はそう思って、案内状を手に普段あまり馴染みのない駅で降りた。地図をたよりに細い路地を抜けてゆく。蛇坂と名のつく、くねくねした路を下っていくと、だんだん人通りが少なくなり街灯の数も減っていく。本当に店があるのかと不安になりだしたころ、地図に記された木造家屋を見つけた。看板も表札も出ていない。店は二階にある。一回は民家のようで、その脇に小さな扉が開け放してあり、二階へ続く階段が見えた。靴を脱いでおあがりくださいと書いてある。この手続きは、一見の客である彼を怖気づかせた。時臣は少しの間ためらった。欲しいものがなかった場合、そのまま帰るのが難しそうだと思ったのだ。「……あの」、後ろから声をかけられた。振り向くと、黒づくめの服を着た少年が時臣をじぃと見上げていた。少年は年ごろにしては落ち着いた色の瞳を向けながら、なかに入りたいのですが、と言う。「ああ、ごめんよ」狭い入口を塞いで立っていた時臣は詫びを言って少年に階段を譲った。ひとりがやっと通る幅しかない階段を昇っていく少年を見送りながら、逡巡して、後を追うように時臣も足を向けた。


時臣が二階にたどり着いたとき、少年は平台に向かい膝を揃えて座っていた。よく来たな。奥で主人らしい人物の声がする。目を向けると、木造家屋にはあまり似つかわしくない派手な男がいた。金髪に赤目というおよそ日本人離れした男は病的なまでに整った顔つきをしていたので、時臣は少し気圧される。主人に、まぁ好きにみるがよい、とこれまた現代離れした日本語で促されたので、気の抜けた返事をして店の中を見渡した。
少年の目の前に、ちょうどよく蓋付きの飯茶碗がある。子供向けに作られたのだろうそれは、だいぶ小ぶりで可愛らしかった。絵柄はよくわからないが、紅い彩りが目に映る。
「お前がそうして正面で粘っていたら、お客が見れないだろうが」
顔を出した主人に促され、少年は一歩退いた。ありがとう、と礼を言って、時臣は椀に目を凝らす。模様もなく、ひたすら紅いだけかと思った椀は、手にとって向きを変えてみると裏側に小さく、金箔で星のきらめきのような図柄が描かれていた。
「それは夫婦椀だ。もう一回り大きい椀と揃いになっている」
傍にやってきた主人は、後ろの箱に入っているから見せてやろう、といやに尊大な口調で言った。態度も口調もまるで客に対する言葉遣いではなかったが、主人にはそれをおかしいと思わせない雰囲気があった。むしろそうあるべき、という気さえする。そしてとても若い。おそらく自分よりも。二十を半分超えるか超えないかというほどの男だ。取り出した箱をかたちのよい指で開けて、布を敷いてふたつの椀を並べて見せてくれた。大きい方の蓋には、金箔のきらめきが三つ描かれていた。
「ほかの飯茶碗も見せていただけませんか? できれば、一客だけのものを」
時臣の言葉に、探してみよう、と頷いた主人は「これは気に入らなかったか? それほど高くもないぞ」と言いながら紅い茶碗を箱に納める。
「……彼も、その椀を気に入っているのでしょう?」
椀をじっと見ていた少年を気にかけた時臣に、主人はけらけらと笑った。「なに、構うことはない。あれは我の弟だ。そもそも椀を買うだけの金も持っておらん」「ご兄弟だったのですか」だいぶ年が離れていらっしゃる、と言いかけたが、世の中には様々な事情があるのだと思いすんでのところで抑えた。


家に帰り、テーブルに並べた夫婦椀を見て時臣は少し後悔した。もとよりそれほど上質な飯茶碗を買う予定はなかったし、染め付きの椀としては手ごろな値段というだけで決して安くはないのだ。しかしそれを思い始めたのは帰りの電車の中である。そのまま引き返す決心もつかず、結果自宅に着いてしまった。今更返品には行けまい。
タイマーをかけておいた炊飯器はすでにご飯を炊いていたので、前日の残りの煮物をさっと温める。豆腐の味噌汁でも作ろうかと一度は冷蔵庫を開けたが、煮物が温まったのを見てインスタント食品をしまってある棚に手を伸ばし一食分の味噌汁を取り出した。そうして、買ったばかりの椀を一度水洗いしてからご飯を盛りつけ、食卓に向かった。
両手を合わせ、いただきます、と箸を手にしたところで呼び鈴が鳴る。宅配ボックスなどという便利なものはこのアパートには付いていないので、仕事で日中留守にしている彼の所にはたいてい夜に宅配便が届くのだ。今回もそう決めつけて扉を開けた時臣を待っていたのは、あの店にいた少年だった。「どうしたんだい」聞くが、返事はない。後をつけてきたのだろうか。「何か用かい?」これにも返事はない。黙りこくったまま見上げてくる少年に、時臣は困った。
「もう遅いから、早く帰った方がいいと思うよ」
すでに午後九時を過ぎている。全身黒い少年は、少し闇に溶け込んでいるようにも見えた。「おにいさんも心配するだろうし」、ね? としゃがみこんで目線を合わせてもやはり返事はなかったが、何か不都合があるようなそぶりをした。もしかしたらあの椀に未練があるのかもしれない。ひゅう、と冷えた夜風に撫でられて時臣は身を竦める。先ほど見たニュースによれば、夜から雨が降るらしい。


少年を家に招き入れた時臣は、君も食べるかい? と尋ねた。「これから食べるところだったんだよ」少年はこくりと頷く。無口なのかもしれない。自分の向かいに座らせてから、時臣はそうだ、と思い立った。せっかくだからこの茶碗を使ってみようか。水洗いして流しに置いておいたもう一方の椀にご飯をよそい、少年の分のおかずを用意して食卓に置く。「いただきます」改めて両手を合わせた時臣に続いて、少年も手を合わせて小さく倣った。
食事は静かに進む。少年が無口なので時臣も無口になり、そろってご飯を口に運んでいた。もとより沈黙は嫌いではなかったが、初対面の子供と過ごす静寂は驚くほど気まずさがなかったので自分でも少し驚いた。目の前で黙々とおかずを食べる少年をよく見ると、店の主人同様整った顔をしている。年は十二、十三あたりに見えた。かちゃかちゃと箸と食器が触れ合う音を聞きながら、あまり遅くならないうちに帰さなければと考えて時計に目をやる。ちょうど九時半になった頃だった。
それから程なく少年は小ぶりの椀によそったご飯とおかずを残さず食べた。おかわりは、と尋ねた時臣に、首を横に振って返す。
「じゃあ、少し休んだら駅まで送っていくよ。君の家はあのお店なの?」少年はふるふると首を振り、一言「ここ。」といった。
「……え?」
「家は、ここです」
なんで訊くのかという顔をする少年に、時臣は箸を置いて改まり言った。「ここは私のアパートだよ。君はあのお店か、その近くに住んでいるのだろう?」「いいえ」少年はもう一度首を振る。
「わたしはもう家を出て、よそでご飯を食べなくちゃいけないんです。そういう年頃だから」
どうやらやっかいなものをひっかけてしまったらしい。額に手を当てて、ちょっと待ってなさいと立ち上がった時臣は領収書を探して店に電話を掛けた。「何用だ」主人が出る。客商売をしているくせに何用かとはどういうことだと疑問に思ったが、今はそういう話ではない。
「あの、夜分すみません。ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「なんだお前か。何かあったか?」
「えっ……わかるんですか」
「先ほどの客だろう」
名乗ってもいないのに声色だけでわかるのか。「ふふん、我は耳がいいのだ。」主人は、まるで時臣の心を見透かしたように言葉を返す。何も言っていないというのに。「で、」何の用だと聞かれて時臣は我に返った。
「ええと、あのですね、今私のところに弟さんがいるんです。後をつけてきたのかどうかはわかりませんけど……。それで、夕食を一緒に取ったのですが、そのあと駅まで送ろうとしたら自分の家はここだと言い出したんです」
「……もしやお前、あの飯茶碗でそいつに食わせたか?」
やや潜まった声に怯みながらええ、と頷く。「……いけなかったんですか?」快活な口調だった主人が急におとなしくなったものだから、時臣は何か拙いことをしたのかと不安になった。電話口からは呆れたような、どこか楽しそうな分別のつかないため息が聞こえて、次に笑い声が響いた。
「ハッ、なんだあいつ、尾行とはなかなかやるじゃないか!」
「はぁ……?」
「気のなさそうなそぶりをしていたくせに、ヤツめ。謀りおったな。澄ました顔で横取りとは性質が悪い。後で行こうと思っていたらこれだ……まったく、こんなことならお前を家まで送るんだったよ」
口惜しいなぁと残念がる主人は時臣を置いてけぼりにして話を進める。さっぱわからない。いったい何のことだ。
「……あの、」
「なんだ? ああ、あいつか。構わず外に摘み出せ。しばらくは外で煩くするやもしれんが無視しろ。いいか、優しくするなよ? 付け上がるからな」
「でも今夜は雨が、」
「構わぬ。」ぴしゃりと主人が言い放つ。
「甘やかす必要はない。遠慮はいらんから、さっさと放り出せ。今夜中に回収する」
「いいえ、私の所は別に構わないんです。ただ弟さんの居所をお知らせしようと思っただけで。来客用の布団はありますし、一晩くらいならお預かりしても大丈夫ですよ」
「そんなことをしたらそいつは歓迎されたと思って居着くぞ。いいか、必ず、外へ追い払うのだぞ」


ぱたぱたと窓をたたく音がする。雨だ。いったんは主人の忠告に従うつもりになった時臣だが、雨の降りしきる夜に少年を一人で放り出すわけにはいかなかった。今夜中に回収すると行っていたからきっと迎えにくるのだろう。主人が来るまで雨宿りさせておこうと決めてリビングに戻ると、少年はこくりこくりと舟をこいでいた。「眠いのなら、寝てもいいよ」ちゃんと起こしてあげるから、と言うとこくりと首を縦に振った。頷いたのか、ただ舟をこいだのか。どちらにせよこの様子ならじきに寝てしまうだろうと見当をつけた時臣は、ブランケットを出して肩にかけてやった。テーブルに俯せた少年がもぞもぞと動く。
「そういえば、君の名前を聞いていなかった」
ふと思い立って口にしたものの今にも寝そうな様子なので特に返事は期待していなかった。少年はもそりと顔を上げて、とろんとしたまま「きれい」と言う。
「きれい? 素敵な名前だね。字はどう書くの」
「…………」
前髪と腕の隙間から見える目はとうとう閉じてしまい、それきり少年が喋ることはなかった。






冷え込みで目覚めたとき外はすでに明るかった。枕にしていたハードカバーの小説を茫洋と眺めていた時臣だったが、ずるりと肩から滑り落ちたブランケットを見てはッとした。飛び起きて、拍子に足をぶつけて椅子が派手な音を立てたが、構わず辺りを見回した。少年の姿はない。兄が迎えに来て帰ったのかもしれない。本を読みながら待っていようと思ったのにいつの間にか寝てしまった。ひとつ息を吐いて床のブランケットを拾い上げた時臣は、椅子の背にそれをかけてからのろのろと洗面所へ向かった。
朝食の後で電話をかけてみたのだが、呼び出し音が鳴るばかりでまったく応答がない。休業日なのだろうか。そこで、確かあの店は一階が民家のようになっていたことを思い出す。下にいるのかもしれない。窓から射し込む暖かい日差しにやわく肌を焼かれながら、散歩のついでに行ってみようかしらと思った。土曜で仕事も休みだし。
先日と同じ駅で降り、同じ通りの道を歩く。少々ぬかるんでいるがたいしたことはない。革靴が汚れないようにと水たまりや泥を避けて歩いている所為か、記憶を頼りに歩いている所為か、なかなか店にたどり着けなかった。それでも、散歩は嫌いじゃないしと気楽に歩いていた時臣だったが、さすがに一時間も辿り着けないのはおかしい。地図こそないが、記憶力には自信があるのだ。それに細い路地ではあったけれど、それほど込み入った路ではなかったはずなのだ。
足も疲れてきたので、とうとう諦めて交番で道を尋ねた。だるそうに机に肘をついた、明るい髪の警官に訊いてみるとそんな道は知らないと返された。
「おれここ地元なんだけどさー、蛇坂……だっけ? そんな坂初めて聞いたよ。ああちょっと待ってて」、ねぇー旦那ァー、蛇坂って知ってるー? 若い警官が奥に向かって叫ぶと、特徴的な声でいいえぇーと返事がかえってきた。
「残念ながら、存じ上げませんー」
「おっけぇーありがとぉー。ごめんねオニーサン、やっぱわかんないや」
「いえ、ありがとうございます」
「にしても蛇坂ってどこに書いてあったの? 看板でも立ってた?」
「地図に書いてあったんです」
地図といっても、招待状に同封されていたそれは墨で書かれた手書きのものだった。筆を用いたのだろう、路を表した流麗な線の横に、蛇坂、と書いてあるのを時臣は確かに覚えているし、事実その道もあったのだ。へぇーと気の抜けた声を出した警官は、やっぱ知らないなぁと首をかしげながら「それに、」続ける。「このあたりに骨董商なんてないはずなんだけどなぁ」。


ひらひらと手を振る警官に見送られながら交番を出た時臣は、狐につままれたような心持ちでアパートへ戻った。陽はすでに傾いている。散々歩き回ったせいで足が疲れてしまった。階段を昇るのも億劫になり、のろのろと足を持ち上げながら、夕飯の献立を考えた。まずは米を炊いて、その間におかずを作ろう。何にしようか、簡単なものでいいかしら。ああ、そういえば野菜が余っていたから炒め物にしよう。そして炊き上がった白米をあの飯茶碗によそうのだ。部屋に戻った時臣は、食器棚から飯茶碗を取り出した。この茶碗があるからには骨董商も実在するということになる。古めかしい言葉を使う店主も、無口な弟さんも存在するはずだ。時臣は週明けの務め帰りに、もう一度訪ねてみることにした。
野菜を炒め味噌汁を作り、火を止めたところでインターホンが鳴った。いつものように宅急便かと思いはいはいと返事をしながら玄関を少し開けると、立っていたのは配達員ではなく少年だった。あ、と言う間に扉の隙間からすべりこむように入ってきた少年は、時臣が何か言うより先に食卓へちょこんと腰かけた。口を半分ほど開いた時臣は、結局何も言わずにあの椀を食器棚から出してご飯をよそい、二人分の膳を用意した。少年は残さず食べた。


時臣が骨董商へ電話を掛けると、あれだけ通じなかったのがウソのようにすぐに繋がった。主人の声がする。「いっそ夫婦になってみるか?」開口一番、笑い声で訊かれて時臣は眉を顰めた。
「どういう意味かわかりかねます」
「惚けずともよい。おぼこぶるな、仲間のくせに」
「仲間……?」
「ほぉ! しらばっくれる気か!」
けらけらと笑いながら「まぁ戸惑っていた風だしな、無理にとは言うまい。まだ間に合う」と主人が言う。
「間に合うとは、?」
「あいつを外に出して、鍵をかけるのだ。騒いでも喚いても相手にするな」
そんな無体な、と返す時臣を無視して主人は続けた。
「それでも去らぬようなら、そうだな、水を浴びせろ。飛び退いて逃げるさ。最後にあの飯茶碗を投げつけてやれば、もう二度とそこへは近寄らんだろう」
「私は別に、そこまでして追い払いたいわけじゃないんです。ただ、彼がここへ来る理由を知りたいだけなんです」
「何をいまさら」電話口で笑い声になる。「そんなもの、お前を主人と思っているからに決まっておろうが」
「……だから、なぜ」
「飯をやったではないか」
「飯?」
「あの茶碗で。小さい方の」
「それが……それと何の関係が?」
男のいうことがさっぱりわからず声に険がまじる。それは男も同じようで、わからないやつだなと返ってきた語気には荒さがあった。
「揃いの椀で、差し向かいの膳をすませたのだろう。互いに了承したということだろうが」
「だからどういう……」
「ああもう五月蠅い、くどくど言ってくれるな。我を焦らせてなにが愉しい。そうでなくとも、アレに出し抜かれて苛ついておるのだ。揶揄うのもいいかげんにしろ」
そこで電話が切れた。ツーツーと鳴るばかりの受話器を持ったまま、時臣はしばらくぼんやり立ち尽くしていた。袖を引かれて横を見ると少年がじぃと見つめてくるので、受話器を片手にぼんやりと少年を見下ろしながら、時臣はずっと昔、母に言われたことを思い出す。アパートでは猫を飼ってはいけないの。だから外の猫にむやみにご飯をやらないこと。約束よ。






20120523 ■猫にご飯・長野まゆみ