※ジョニィが歩けます





ジョニィには5つ年の離れた兄がいる。弟のジョニィからみても際立って綺麗な顔をしている兄は、高校在学時にスカウトされて端役ながらいくつかのドラマに出ていた。演技力もさることながら誰に対しても丁寧で謙虚な態度、話もうまく、それでいて密かな野心も垣間見える兄は大物新人などと呼ばれ、今や若い世代を中心に人気者になっていた。ジョニィのクラスメイトも男女関わらずほとんどがファンで初めの頃はジョニィもサインをもらってきてくれないかと頼まれたりした。もちろんすべてつっぱねたが、今でも他のクラスや学年も違う見知らぬ人から強請られることは少なくない。そのたびにジョニィは、あんなやつのどこがいいんだろうと心の底から思う。ジョニィは誰もが羨む兄が、ディエゴのことがあまり好きではない。


放課後に友人と遊んで帰ってきたジョニィは玄関に置かれた派手な靴を見て眉を顰めた。耳をすませるとリビングからテレビの音が聞こえているのでおそらくそこにいるのだろう。そうっと靴を脱ぎ、フローリングを軋ませないようにして廊下の先の階段を目指す。当然その途中にはリビングに続くドアがあるのでジョニィは空き巣よろしく忍び足で歩いた。ドアは閉まっているが、ソファとドアの距離はそう遠くないので音を立てればすぐにばれてしまう。まったくどうしてこの家は階段が玄関脇にないんだともう100万回は思ったことを不満がりながらドアを通り過ぎ、あと三歩もいけば階段だというところで「おかえりジョニィ」と背後から声をかけられた。
「げっ」
「バレバレだぞ。いい加減諦めたらどうだ」
もう100万回も繰り返してるんだからと鼻で笑うディエゴに「うるさい」と口を尖らせる。開いたドアに手をかけているだけでどうしてこうも絵になるのか。芸能人だからか。しかし顔だけで言えば自分も負けていない筈だとジョニィは思う。それなりにモテているし、ディエゴの弟だと言う事を除いても割と人から可愛がられるタイプだと自負しているのだが、クラスの女子曰く「ジョニィはかわいくて、ディオはかっこいいのよね」らしい。要はディエゴの方が男らしいということのようだ。まぁ17歳と22歳を比べるとそうなるのは当然かもしれないが。
じとりと睨むジョニィを余所に「喉が渇いたな。茶を入れろ」とディエゴが言う。
「はぁ?自分でやれば」
「なんで俺がそんな面倒なことをしなきゃならないんだ」
「それはこっちのセリフだよ!」
「あと菓子も適当に持ってこい」
急げよ、とジョニィから手早く鞄を浚ってディエゴがリビングへ戻っていく。ジョニィはよっぽど無視して部屋に行ってやろうかと思ったが、以前そうしたら鞄の中に入れていた携帯だのなんだのを好き勝手に弄られたので、むかつく!とひとりごちてからディエゴに続いた。


「なんだお前、授業参観やるのか」
ジョニィがキッチンで用意をしていると、ソファ越しにひらひらとプリントを見せられる。「おい!勝手にみるなよ!」鞄を漁るな!とキッチンから怒鳴るが「今週の金曜か」ディエゴはまったく聞いていない。自分の分と一緒に麦茶を持ってきたジョニィはその呟きを聞いて嫌な予感がした。
「……来るなよ?絶対来るな?」
「確か金曜は一日オフだったな」
「聞けよ!」
勢いよくコップをテーブルに置いたジョニィが「お前絶対来るなよ!」と言い終わる前に「菓子がないぞ。早く持ってこい」とディエゴに遮られる。ジョニィはどすどすと足音を立てながら戸棚からスナック菓子を取ると、思い切りソファに投げつけた。
「お前絶対来るなよ!?」
「兄に向かってお前とはなんだ。あとこれじゃなくてクッキーがいい。隣にあったやつ」
「うるせぇ!」
ジョニィはディエゴの隣に座ると「ほんとにマジで来るなよ!絶対に!」と念を押した。「何がそんなに嫌なんだ。俺だぞ?」このディオがお前のために貴重なオフを使ってやると言っているのに。さも特別なことだというような口ぶりで話すディエゴに「お前だから嫌なんだ!」とジョニィは吠えた。
「お前が来ると授業にならないっつーか目立つんだよ」
「まぁ当然だろうな」
「それにまた前みたく派手な車で僕を乗せて帰るんだろ?」
「当たり前だろ。なんならその日は朝も送ってやるよ」
その方がお前も楽だろうと言うディエゴに冗談じゃないよとジョニィが返す。中学校の卒業式に多忙な両親の代わりとしてディエゴが迎えにきたのだが、当時すでに名が知れていたので大混乱になったのは記憶に新しい。
「行きも帰りもいつも通りチャリで行くから。ていうか来るな」
「でも俺が行かなかったら誰も行けないぞ。父さんも母さんも仕事だろうし」
「いいよ別に。親が来ない子他にも結構いるもん」
高校生にもなって授業参観に誰もこないことを寂しがるほどジョニィは子どもではなかったし、むしろ誰も来ない方が気が楽だった。両親の都合がついても出来ればこないでほしいと思っているので、間違いなく目立つことが予想される兄にはもっと来てほしくない。納得したのかどうか分からないが、ふぅんと返事をしたディエゴがそれ以上話を掘り下げようとしなかったので、どうか急な仕事が入りますようにと願いながらジョニィもそれについて話をするのはやめた。


金曜の朝。寝る前に確認したはずの目覚まし時計のスイッチがオフになっていたせいでジョニィは大寝坊した。ただでさえいつもギリギリまで眠っていて余裕がないのに15分も寝坊したらもう何をする時間もない。今すぐ家を出て全力で自転車を漕いでも授業開始には少し間に合わない時間だったので諦めて2限目から行こうかと制服を着る手を止めたが、1限目の単位が中々危ういことを思い出し再び手を動かした。日ごろから授業をさぼりまくっているツケがここにきてやってきたのだ。いつもなら休みの日は昼まで寝ているディエゴが朝食まで取っていることすらどうでもよくなっていたジョニィは、バタバタと家を出ると玄関の脇に置いていた自転車に鍵を差し込み飛び乗ったが、1秒もしないうちに飛び降りた。
「なんだ、行かないのか」
絶望的な顔で立ち尽くしているジョニィに玄関から出てきたディエゴが話しかける。「タイヤがパンクしてる…」「へぇ、それは一大事だな。もう自転車じゃ間に合わない時間だぞ」わざとらしく腕時計を見るディエゴに悪態をつく気力もないジョニィはそうだねと力ない返事をしたが、「送ってやろうか」という声にばっと顔を上げた。
「いいの!?」
「どうせ暇だしな」
「ありがとうお兄ちゃん!」
あまりに切羽詰まっていたためについ昔の呼び方が出てしまったジョニィを満足そうに見て「行くぞ」とディエゴが駐車場へ向かう。大人しく後をついていったジョニィは車の前に来てからふと気がついた。
「鍵は?取りに行かなくていいの?」
「もう持ってる」
ジーパンのポケットからキーを取りだしたディエゴにジョニィは何か違和感を感じたが、時間もないのでとりあえず助手席に乗り込む。ディエゴも同じ高校を卒業しているので道案内の必要はなく、幸運なことに道も空いていたのでホームルームにも間に合う時間に到着した。
しかし間に合ったはいいものの車で向かったために始業前の一番混んでいる時間に着いてしまい、登校する生徒達にバレてディオだディオだとちょっとした騒ぎになった。ジョニィはうんざりしたが、元はと言えば寝坊した自分が悪いのだし、もしいつも通り起きていてもタイヤのパンクを直すこともできなかったので、ジョニィは素直に「ありがとう」とだけ言った。
「また後で来るからな」
「マジでやめろ」
「じゃあお前どうやって帰るんだ?40分かけて歩くか?」
楽しそうに言うディエゴの言葉を聞いて、ジョニィはやっと違和感の正体に気がついた。「パンクさせたのお前だな!?」「さぁな」白々しくとぼけながらも「まぁこれからアシがないんじゃ困るだろうから修理しといてやるよ」と言うディエゴに「目覚ましもお前だろ!」と怒鳴るが、肩をすくめるだけで何も言わない。地団太踏んで怒るジョニィにじゃあなと一言かけてからディエゴはさっさといなくなってしまった。だから朝早く起きていたし、出てきたときも車のキーを持っていたのだ。段々と小さくなっていく車を見ながら、とうとうジョニィは諦めた。教室に向かう途中、今日はディオがくるのかと喜々として尋ねてくるクラスメイトたちに来るんじゃないのとげんなり返事をする。理科室か家庭科室で火事でも起きればいいのに、と心の底からジョニィは思った。

参観が行われた6限目の授業はジョニィが予想していた通りまったく授業にならなかった。教師は頑張って授業を進めようとしていたが、生徒は浮足立っているし保護者さえも自分の子供ではなくディエゴを見てひそひそと話し続けていたからだ。なんの不幸か前回の席替えで最後列の中央になったジョニィは、真後ろにいるディエゴの視線も保護者の話も全部聞こえた。かっこいいだの肌がきれいだのそこらの女子高生となんら変わりないことばかり話し続けるおばさん連中にうんざりしたし、わざわざ自分の後ろで見るディエゴにもうんざりした。お前仮にも芸能人なんだから端にいろよ。なんで僕の真後ろに来るんだ。
生徒はディオに恥ずかしいところを見せたくないと思っているようで表面上はいつになく真剣に授業を受けているのだが、一向におしゃべりをやめない保護者にジョニィは苛々した。それでも黒板の前で必死に授業を頑張っている歴史のおじいちゃん先生を見ると、アンタも注意しろよなとも思えず、かと言って自分でいうのも何か嫌なので最後まで大人しく授業を受けた。
授業が終わり、帰りのホームルームも終了すると待ってましたとばかりにディエゴの周りに人が群がってきたので、ジョニィはその隙に帰ろうとしたのだが「ジョニィ!一緒に帰ろう、歩くのは大変だろ」とディエゴがこれ見よがしに大声で呼ぶので、視線が集まり帰るに帰れなくなってしまった。用事があるから早く帰りたいのだと言えばじゃあすぐ帰ろうかと人ごみを抜けてくるし、サインや握手を求めていたクラスメイトが不満な声をあげても営業スマイルを浮かべて当たり障りなく断る。それもまったく嫌味に見えないようにしているのだから性質が悪い。どうせ車に戻ったら面倒だの鬱陶しいだの言うくせに。
「まったく面倒だな、女ってやつは」
サインだの握手だのどうしてプライベートでそんなことをしなくちゃならないんだとディエゴがため息をつく。校門を出て、学校から少し離れた途端にこれだ。「じゃあ来るなよ…」ジョニィが呟くと、オフをどう使うかは俺の自由だと言う。お前の方がよっぽどめんどくさいよとジョニィは言ってやりたかった。


性格最悪で外面ばっかりよくて、影でファンの子を面倒だとか抜かす上にブラコンなのに、どうしてみんなはこいつのことがそんなに好きなんだろう。やっぱり顔なのだろうか。本当に顔だけはいいのだから、こいつは。
「なぁ、サーティーワンでアイス買ってやろうか」
「いいよ別に」
「レギュラーのダブル買ってもいいぞ。なんならバラエティパックにするか?」
「僕の話聞けってば」
ジョニィの話を聞かず、俺はラムレーズンだなと一人でしゃべるディエゴは、さっきまで文句を言っていたくせに今は鼻歌など歌っている。助手席からこういう風景を見られるのはきっと僕だけだと思うと少し優越感が湧いた。ジョニィはディエゴのことがあまり好きではないが、嫌いというわけでもないのだ。
運転しながらキャラメルリボンとストロベリーチーズケーキにしようとディエゴがひとりごとを言うので、「買ってやるとか言ったけどお前が食べたいだけだろ」とジョニィは笑った。






(20110408)