生きるは毒杯

これまで生きてきた中で、人間の女に恋慕を抱いたことはあった。ベルゼブブはまだ若く、両親も健在だが、それでも一族の現当主として身を置いているので悪魔ともそれなりに関係を持っていたし人間ともそうだった。アザゼルなどはその職能も手伝って数え切れないほどの人間に手を出しているが、ベルゼブブは四本の指で事足りる程度であったので、そのことはよく覚えていた。いずれも美しい女だったように思う。覚えているくせに『思う』というのもまたおかしな表現ではあったけれど、人間の美的感覚は時代によって変わるものであったし、また人間と悪魔のそれは少し異なっているので、あくまでベルゼブブの主観では美しい女だったと思うのだ。


一人目の女は色白で金色の髪をしていた。戦争のあった時代で、彼女はどうにかしてそれを止めたいのだが力がないと嘆いていたので、契約したベルゼブブは力を貸してやった。はじめは神の使いだと崇められていた彼女は戦争が終わるや否や魔女と罵られ、最期は火炙りにされてしまった。その時代にしては珍しく純粋で、ベルゼブブの特殊な嗜好も中にはそういう人もいるものだといって受け入れた彼女をベルゼブブは気に入っていたので、豚の餌のように汚され炎に飲み込まれていく様をみてとても悲しくなり、自分が命を懸けて守ろうとした者たちに殺された彼女を憐れに思った。
二人目の女は長い黒髪で、これも色の白い女だった。彼女は一人目と同じように純粋だったが、男のように粗暴で気が強く、女性蔑視の強かった中で男にも物怖じせず意見を言うような女だった。元の身分が高いということもあったろうが、永らく男に従うだけの女を見ていたベルゼブブには新鮮で、とても面白いと思った。もちろん彼女はベルゼブブにも同じような口を利いたし、一人目と違って嗜好に対しても気持ち悪いとはっきり言った。が、だからといって蔑むわけでもなく、食物ならば仕方がないなという風でそれをどうするということもなかった。食事時と直後は傍に寄るなと言われはしたが。彼女も女としては珍しく戦場に立っていて、ベルゼブブも傍らで手助けをした。彼女の最後の戦は敗北に終わったが、彼女自身は自分との契約を解いた後どこぞへ落ち延びたので、一人目よりはマシだなとベルゼブブは思っている。契約を解いたとき彼女はまだ若かったのでベルゼブブはもう少し共に居たいと思ったのだが、契約者が契約を解くといっている以上ベルゼブブの意思ではどうすることもできず、結局ロクに別れも言えぬまま終わった。


向かいのソファで本を読んでいる佐隈を眺めながら、こいつはどちらとも似てねぇなと思った。単純に顔の造形だけでいえば先の二人の方が整っているとベルゼブブは思うが、佐隈も佐隈で中々かわいらしい顔立ちはしている。自分の嗜好への反応は二人目に近いが、彼女のように誰にでもはっきりと物は言わない。気が弱いわけではないのだが、押されるとよく考えずに肯定してしまうし、佐隈自体の押しも弱い。今どきの人間らしい人間だな、と思う。非力な腕はカレーを作ったりグリモアを振り回したりはできるけれど、きっと命を懸けて戦うことはできないだろう。そういう時代でもないのだ。だからきっと、彼女らのように自分が表立ってこの人を守るようなこともないのだろうなと考えたら、ベルゼブブはつまらなく思った。戦争とまでは行かなくとも、通り魔に襲われたりだとか道を歩いているときに上から避けようもない鉄骨が落ちてくるだとか、そういうトラブルでも起きれば体よく守ってやれるのに、と顎に手をやった所で、今の小さい姿では難しいと知った。通り魔はともかく鉄骨はヘタをすると自分も痛い目に合うかもしれない。
うまいこといかないですねぇとため息をつくと、どうしたんですかと声をかけられる。「難しい顔して。あっお腹空いたんですか?」そういえばお昼食べてからおやつも食べてないですもんねと見当違いなことを言う佐隈は、自分がのんびり読書をしている間にベルゼブブがたくさんのことを考えていたなんて想像もしないのだろう。考えても糞尿かカレーのことだと決め付けて、カレーならいくらでもあげますからアレは駄目ですよ、なんて言うに違いない。かわいい顔をして、自分のことを考えるベルゼブブを知らぬ間に優しく突き放すのだ。





20110608 亡國覚醒カタルシス
色々適当なので気にしないでくだしあ