部活が終わった後というのは疲れ切っているはずなのだが、やっと終わったという解放感と何処に寄り道して行こうかという企みで皆浮き足立っている。甲斐と田仁志は佐世保バーガーを食べに行くのだと言い、横で着替えていた平古場が自分も混ぜろと田仁志の背中におぶさった。
「えー、永四郎も行ちゅん?」
「俺はいいです。少しやることがあるので」
既に着替えを終えた木手は部室の中央に置かれた長机に座ってノートを広げていた。後ろからそれを覗き込んだ甲斐が「てーげーでいいあんに」と呟く。振り返った木手に睨まれた甲斐は慌てて逃げようとしたが、それより早く腕を掴まれて少しばかりの説教が始まった。広げていたのは部誌だったようで、もっとちゃんと書きなさいだの部誌は絵日記じゃないんだからねなどと言われている。
「裕次郎じゅんにふらーやっし」
「やんやー。余計なことあびてまぁ」
「んじ、やーはどうする? 佐世保バーガー」
見上げる平古場に、少し考えてから知念は首を横に振った。ふぅんと返事をした平古場はさほど気にした様子もなく、支度を終えた田仁志を連れて部室を出ていく。「ゆーじろぉ! わったー先に行ちゅんどー!」「えー! 待ってよぉ凛! 慧くん!」「あっこら甲斐クン!」話はまだ終わってないですよ! と叫ぶ木手の腕を振り切った甲斐は逃げるが勝ちと言わんばかりに部室を出ていった。
「まったく……ドアくらい閉めて行きなさいよ」
文句を言いながもそれ以上追う気はないらしく、ドアを閉めた木手は机に戻ると部誌を広げ直した。そうして騒いでいる間に他の部員達も粗方帰って行ったようで、下級生数人がお疲れ様でしたと出ていくのを見送ると部室の中には木手と知念の他は誰もいなくなった。
「知念クンは帰らないんですか」
「うん」
「何か用事でも?」
首を横に振ると木手は苦笑した。
「今週の鍵当番は俺なので、あんまり遅くなると困ってしまうんですが」
「それなら大丈夫さぁ」
「何がです」
「永四郎と一緒に帰るから」と言うと、木手は眼鏡を上げつつ言葉を返した。
「今から部会で使う資料をまとめるので遅くなりますよ」
「構わんどー」
「待ってる間ヒマじゃないですか?」
「本あるから」
大丈夫、と文庫本を見せられてしまえば、もう木手はため息を吐くしかなかった。


そう広い部室でもないので、長机があるといっても一つだけだ。大きいものでもないので普通に置けば椅子も四脚しか置けないが、ミーティング等で使用するときはレギュラー分として七脚置いている。短辺側に二脚置けば足は伸ばせないが机は使えるので七脚といってもそれほど無理のあるものでもなかった。平常時は邪魔なので三脚は畳んで隅に置いている。知念はそのうちの一脚を引っ張り出して座った。斜め前には木手の背中がある。別に選んだわけではなく、単に知念のロッカーが木手の斜め後ろにあっただけだ。
木手が遅くなる、長くなるという時は最低でも1時間は掛かるので、今回もまぁそれくらいかかるだろうなと知念は思っていたのだが、十ページほど進んだ所で木手は片づけを始めてしまった。時計を見るとまだ十五分しか経っていない。不思議そうに背中を眺めていると、「部会の日を勘違いしていました。今日でなくとも間に合うので、もう帰りましょう」とテキパキ動く背中が言う。少しばかり早口なそれに返事を返しながら知念も本を鞄に仕舞った。
鍵を閉めて、職員室に返して、上履きから履き替えて、校門を出るまで知念はずっと木手の隣を歩いていた。木手は職員室に向かう前に一度だけ、自分は鍵を返してくるから先に帰っているようにと言ったが、知念が首を横に振ったので、それきり何も言わないでいる。
二人は徒歩で通っている。それぞれの帰途に着く分かれ道まで夕陽に染まりながら歩く間に会話はなかった。知念は口数の多い方ではないし、木手もおしゃべりの方ではないので、二人でいる時は会話よりも沈黙の方が多かったが、お互いそれを苦だとは思っていない。さとうきび畑に挟まれた小道をのんびりと歩くのは穏やかな気持ちであった。日没が近くなると暑さも和らいで生温い風が肌を撫でていくばかりである。何度目かの風に頬を吹かれた時に木手が口を開いた。
「知念クン」
「ん」
「どうして今日、俺と一緒に帰ろうと思ったんですか」
のんびりと足を進めながら尋ねる木手に、知念ものんびりと「永四郎と一緒に帰りたかったから」と答えた。だが知念が思っていたよりも木手はのんびりとした心持ちではなかったらしい。足を止めた木手は、数歩前で止まった知念を見上げた。
「……もし、この間の事に気を遣ってくれているならすみません。忘れてくれていい」
言いながら、むしろ忘れて欲しいとでも言いたげな顔をされては知念も黙ってはいられなかった。「この間の、わんがしちゅんって話かやぁ」


好きです、と言われたのは部室だった。先週、知念が鍵当番で残っていた時に、最後まで残っていた木手が部室を出ようとする知念に言った。
「知念クンのこと好きです」
とだけ言って、この時も木手は、何も言わない知念に忘れてくれと言った。なんでもないです、忘れてくださいと足早に去ろうとする腕を掴んだ時の顔を知念は今でも覚えている。耳まで真っ赤にした木手が俯いて顔を隠そうとしているのが大層可愛らしかった。しばらくそのまま固まっていた二人だが、下校時刻を知らせる鐘の音に慌てて部室を出て、職員室に鍵を返して、昇降口を出てそのまま二人で帰った。途中で雨が降ってきたので木手の持っていた折り畳み傘に一緒に入った。分かれ道の所で、自分の方が家が近いからと渡された傘を知念はまだ返していない。返事もしていないことに気付いたのは、お粗末ながら昨日の夜だった。
鞄の中から折り畳み傘を取り出すと木手は思い出したような顔をした。どうやら貸したことを忘れていたらしい。
「遅くなってわっさんやー」
「ああ、いえ」
近づいて差し出した傘を掴んだ木手は、当然知念が手を離すものと思い腕を引いたが動かない。傘を掴んだままの知念を見上げた木手に、知念は「しちゅんどー」と言った。
「永四郎の事わんもしちゅん」
「……気を、遣わなくても、」
「遣ってねーらん」じゅんによ、と目を見て、もう一度好きだと言うと、ようやく永四郎は顔を赤くした。


「……あの、知念クン」
「ん」
「念のため訊きますけど、俺が言った好きってどういう意味だと思ってます?」
分かれ道まで残り少ない帰路を歩きながら尋ねる木手は未だに疑っているようだったので、聞かせるよりも手っ取り早く知念は木手の指に自分のそれを絡めた。指を一本一本絡ませて、最後に親指で人差し指の横を撫でると面白い程に体が固まっていったので、知念は小さく笑いながら「こういう意味だばぁ?」と言った。
「ち、ちねんクン、意外と積極的なんですね……」
「そうかやぁ」
見下ろした木手の耳が赤いのは降り注ぐ夕陽の所為かもしれないしそうでないかもしれない。赤い耳を見下ろしていると、木手は俯いたまま「本当は嘘なんです」と話し始めた。
「部会で使う資料をまとめるって、あれ嘘なんです。時間がかかると分かればキミが先に帰ると思って」
彼らしからぬボソボソとした口調で白状した木手はそれきり何も言わなかった。そんなことは十五分で片づけを始めた時からわかっていたので別に驚くことはない。すっかり黙り込んでしまった木手の指を握り直しながら、今日は遠回りして帰ろうと知念は思った。




(20140104)