シルキーミルキー
『僕はおじさんの携帯である。名前はまだない。』
そう書かれた保存メールをみて、虎徹は「バニーちゃーん」と声を上げた。
「バニーちゃん嘘ついちゃだめじゃん。名前あるでしょ」
「ちょっと!勝手に人の日記読まないでくださいよ!信じられない!」
「それはこっちの台詞だ!お前なに勝手に新規メールに日記書いて保存してんだよ!」
一日も欠かさず書かれた保存メールの束を突きつけると、僕が僕をどう使おうが勝手でしょ!と保存メールを奪い取られた。「あっこの!」「別にいいじゃないですか。どうせおじさんメール保存なんてしないんだから」懐にメールを仕舞いながらバーナビーに言われれば、まぁそれはそうだけど、としか虎徹も言えない。実際、保存メールがいくら溜まってようと虎徹にはなんの影響もないのだ。言葉に詰まった虎徹を見て、バーナビーが「とにかく」と鼻を鳴らす。
「もう勝手に僕の日記を読まないでください」
「読まないでくださいって言われても俺の携帯だし…」
「そうですか。じゃあロックかけとくんで触らないでくださいね」
「うーわ出た!」虎徹が叫ぶ。「気に入らないことがあるとすぐロックするのやめろよな!」
元々携帯電話の機能の中でロックをかけられるものは限られているのだが、本体のバーナビーはロック機能がついていないものにまで勝手にロックをかけてしまうので、虎徹はほとほと困っていた。パスワードが分からない以上それを解くにはバーナビーの機嫌を直すしかなく、それがまた面倒くさい。
「お前はいっつもそうやってすぐロックロックいうけどなぁ」と虎徹がブチブチ言っている隙に、バーナビーは保存メールの閲覧・編集にロックをかける。ピロリン、と設定完了を示す軽快な音を聞いて、虎徹は大きなため息をついた。
バーナビーの日記にもあったように、バーナビーは虎徹の携帯電話である。人型なので会話も出来るしある程度の自我も持っている。文明が発達しすぎた社会に娯楽を求めた結果、一番身近な携帯電話に白羽の矢が立ち、今ではほとんどの携帯電話はバーナビーのように人型を模している。もちろん一定のニーズがあるので旧型の、所謂『携帯電話』も残っているし、新型もあくまで『電話』なので、使用法としては従来のそれとまったく変わりない。着せ替えに対応しているモデルならばパーツ交換で着せ替えも出来るし、防水対応ならば風呂でもプールでも一緒に入れる。また、遊び心を追求した結果、年齢・性別の他に各携帯には性格設定がつけられている。おとなしい・やんちゃ・人懐こい・ドジっ子・人見知りなどなど、基本的にはデフォルトで変更することはできないが、変更可能モデルならば後日お好みでインストールされている中から性格を変えることが出来るようになっている。
元々虎徹は旧型の携帯電話を使っていた。社会人になったときに買い換えたもので、その当時はまだ新型がそれほど普及していない上に非常に高価なものだったので、興味のない虎徹は旧型の中から新しいものを選んだ。そうして十年連れ添った携帯が仕事中に壊れて修理に持っていったのが二ヶ月前。しかしあまりに古すぎるため代替パーツがなく、機種変更か新型の新規購入を進められたので、ちょうどいい機会だと新型を購入することにしたのだ。当時はバカみたいに高かった値段も一般に普及している今では様々なキャンペーンや特典が付くのでむしろ旧型を買い直すより安い。それに仕事中の事故ということで会社が代金を全額負担してくれるから、というのもあった。
こうして齢四十を迎える頃になって始めて新型の携帯電話を使うことになったのだが、いかんせん種類が多すぎてよく分からない。とりあえず男性モデルで、と店員に伝えたは良いものの、男性モデルも幼児型から成人型まで様々な種類があり、機能もそれぞれ異なる。ていうか幼児型ってなんだ。誰が使うんだ。
「幼児型は年配の方がお孫さん代わりに可愛がるケースが多いんですよ」
悩む虎徹に、それまで対応してくれていた店員が丁寧に教えてくれる。中には自分の趣味で子供型を買っていく者もいるが、あくまで携帯電話なのでこれといった事件が起きたことはないそうだ。そりゃあそうだ。携帯を壊して困るのは自分なんだから。そう考えて、だったら四六時中見ていても飽きないようなものがいいな、と虎徹は思ったが、女性モデルを連れ歩く勇気はない。そんな姿を娘に見られたらどう思われるか、考えただけで涙が出そうだ。
しばらく悩んだ挙句、虎徹は「男性モデルの中で一番良いやつをくれ」と店員に言った。どうせ会社が出してくれるんだし、一番性能のイイやつなら問題も無いだろうという考えでの結論だったが、浅はかな考えだったと後日悩むことになる。
店員が持ってきたのは、虎徹よりやや身長が高い金髪の男だった。先月出たばかりの最新モデルで、しばらく売り切れ状態だったが昨日在庫が入ってきたのだという。
「この機種は女性モデルが主流で、男性モデルはこの一体しかないんですよ」
先日まで売り切れていたものも全て女性モデルだったらしく、店員も男性モデルは昨日始めて見たそうだ。なんでも製造元の技術者が大層な女好きで、モデルは美女しか作らない!と豪語しているとか。
「じゃあなんでこいつがいるんだ?」
「聞いた話なんですけど、徹夜続きで仕事をしていたせいで身体パーツを間違えてしまったとかなんとか」
でも顔は美人だし、性別以外に不具合もないから出しちゃえってことらしいです。説明する店員になるほどと頷く。確かにその辺のモデルなんか目じゃないくらい顔が整っている。お客様いい時にいらっしゃいましたね、と言う店員に、虎徹は曖昧に笑い返した。
こうして虎徹の元にやってきたのがバーナビーなのだが、最新の機械に疎いくせに説明書もロクに読まないで初期設定を行ったため、バーナビーは虎徹のことを名前ではなく「おじさん」と呼ぶようになってしまった。それだけでなく、性格設定も《おとなしい》にするつもりが間違って《意地っ張り》にしてしまったので、なんともクソ生意気な携帯電話になってしまったのである。なんとか敬語を使わせる設定は成功したが、どこで間違ったのか性格設定が変更できなくなってしまったので、綺麗な顔をしたバーナビーは虎徹をおじさんと呼び、言うこともあまり聞かない。虎徹にとっては手のかかる子供のようだった。それでも性能は超一流だし楓もバーナビーを気に入っているので、自分に対する態度は半ば諦めている。楓に対してまでぞんざいな態度を取っていたらショップに持っていって初期化してもらおうと思っていたが、虎徹以外の人間に対しては優しく接するのだ。おそらく元々そういうプログラムが成されているのだろう。新型のことはよく分からないけども。
それから二ヶ月。バーナビーは相変わらず虎徹をおじさんと呼び生意気なことばかり言うが、たまに甘えてくるようになった。虎徹も、携帯相手だがこいつはこいつでかわいいところもあるじゃんと思っており、それなりに良好な関係を築いている。
「おじさん。電話ですよ」
「お〜誰から?」
「楓さんです」
「かえで!?」
ちびちびと酒を飲んでいた虎徹はバッと姿勢を正すとグラスを持っていない方の左手で隣に座るバーナビーの手を握った。きゅ、と二人の手が合わさった瞬間バーナビーの瞳がチカチカと光り、表情が柔らかくなる。
『もしもしお父さん?楓だけど』
「どした?パパの声が聞きたくなったのか?」
『違うし。ほんともうそのしゃべり方やめてくれる?』
心底うざそうな顔でバーナビーが喋る。きっと電話先の楓も同じ表情をしているんだろうなと思い、虎徹は小さく笑った。
20110819
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