センパイって変わりましたよねと言うとセンパイは「そう?」と不思議そうな返事をした。返事をしながら丹念に俺の右手を眺めている。相変わらず晋二は指きれいだなぁとかなんとか言って掌の豆を撫でたり指の叉をさすったり爪の調子を見ている。昨日ケアしたばかりの爪はぺかぺかと輝いていて、手触りが良いのかセンパイは爪の表面を殊更に撫でていた。
「なんかすごいツルツルしてる」
「あ、トップコート変えたんです」
「へぇ」
中指の第一関節から爪の先までを親指の腹で撫でさすったセンパイは「気持ちいい」と微笑む。そうですか、と返事をしながら俺は少し遠くに目をやった。室内練習場のベンチは部屋の隅にある。そこに座っている俺たちを部屋の真ん中から見つめている人がいることはベンチに座った時から分かっていた。もちろんセンパイだって。
「手もでっかくなったなぁ」
自分のそれと比べるようにセンパイは俺と手の平を合わせて持ち上げた。ぼんやり見ていると指先がゆっくりと曲がって俺の所にやってくる。綺麗に整えられた爪が三枚見えたところで、センパイを呼ぶ声が聞こえた。
視界の端から鋭い視線を送られていることも俺の手が昔よりデカくなってることもとっくの昔に知っているはずだろうに、センパイは今気が付いたという顏で返事をするのだった。

元々センパイは優しかった。後輩思いで、何かあったら一番に気付いて声をかけてくれた。調子が出ない時。コントロールが定まらない時。思うように投げられなくなった時、一番最初に声をかけてくれるのはいつもセンパイだった。どうした晋二と優しい声をかけられると自分の中のわだかまりを素直に吐き出すことができた。野球とは関係ないことでもセンパイはうんうんと話を聞いて、俺の味方になってくれたり、俺が悪い時は謝らないと駄目だと窘めてくれる、そんな尊敬するセンパイは一年の間に少しおかしくなってしまったらしい。
呼びつけられたセンパイは手の平を離すと、話を中座して申し訳ないと片手を上げてベンチから立ち上がる。
今行きます! と言いながら練習場の真ん中まで走っていく姿を目で追いながら俺はその向こうにいる人を見た。あの人も走ってくるセンパイを見ながらその向こうにいる俺を見ているんだろう、ばっちり目が合ってしまう。努めてへらりと笑ってみたがこの距離だ。気付いてもらえるだろうか。もっと分かりやすいようにと会釈もしておいた。害はないのだということを分かってほしい。
「遅い」
「すみません鳴さん」
成宮さんは最後にちらりと俺を見て、それきり目は合わなかった。
何事かを話した二人はそのまま練習場を出ていった。

この学校には野球部の用具室が二つある。ひとつは普段使っている倉庫のように大きいもので、もうひとつは寮にほど近い校舎の裏にちょっとした部屋程度の広さしかない古いもの。古い方も野球部のものとはなっているが半ば学校の物置になっていて、よくわからないものがあれこれ詰め込まれている。聞いた話によると元々は学校の物置で、それを野球部用として使っていたのだが、実力に伴った設備に切り替わりお役御免になったのだという。一応今でも野球部用という扱いらしいがここに用具を入れる人はいない。
だからといってセックスするのはいかがなものだろうと俺は思うのだ。埃っぽくカビ臭い電気もつかないこの場所で、瞳の幅ほど開いた引き戸の、縦に細長い仄暗闇の中で二人はキスをしている。扉のすぐ横に背を預けて耳に入ってくる音を聞きながら、いやらしい水音ってこういうのを言うんだろうなぁと思った。兄の物をこっそり持ってきた、という友人から一度だけ見せてもらったアダルトビデオのような音声はあの時はドキドキしたのに今はちっとも興奮しない。鼻にかかった声は見知った先輩の声だし、時折強い口調で話す声もまた同様に知っている先輩の声なのだ。
痛がるようなセンパイの高い声が上がったので、俺は背中を離して寮に戻った。お風呂に入って部屋に戻って、まだ起きている同室の先輩に断って早々にベッドに入る。まだ九時前だぞと茶化されたが、なんだかねむたくてと適当に返事をした。その後に続いた、まるで鳴みたいだな、という言葉には返事をしなかった。





洗濯機の前でゴウンゴウンと回る中身を見ていると「あれ」晋二じゃん、とセンパイが入ってきた。
「おはようございます」
「おはよ。どうしたんだ、こんな朝早く」
夜明け間もない早朝から洗濯機をまわしている俺に尋ねたセンパイは、俺が答える前にあぁ……と何かを察したような顔で緩く笑った。
「まぁ、生理現象だし。結構多いから気にするなよ」
そう言って先輩は抱えていたものを二つ隣の洗濯機に入れた。洗剤を入れて蓋を閉じる。水が入り、ゆっくりと動き始めてから俺は口を開いた。
「センパイもですか?」
「え?」
顔を上げたセンパイは俺を見た。
「ごめん、聞こえなかった」
俺は足を踏み出して近づいた。身長が伸びてよかったことは歩幅が大きくなったことだ。昔は数歩必要だったのが今では一歩で事足りる。
見下ろすセンパイは緩く微笑んでいた。「どうした? 晋二」慈しむような優しい顔は俺の知っているセンパイの顔だった。ここにはあの人がいないからセンパイはおかしくなる必要がなかった。洗濯機に置いている手の上に俺が手を重ねても、センパイは不思議そうな顔をするだけだ。
「センパイも、いやらしいことしてシーツ汚しちゃったんですか?」
夢の中のセンパイは少しおかしくなったセンパイだった。覚えているのはそれだけで、おかしなセンパイが何をしていたのか、どんな格好だったのか、他には誰がいたのかまったく思い出せなかった。俺は自分が何を観て夢精したのか気になってしょうがないけど一生知りたくもなかった。ただ少しおかしい先輩の笑った顔だけが頭の中にこびりついている寝起きは最悪で吐き気がした。
動揺するかなと思ったけれどセンパイは変わりなく、きょとんとした顔で俺を見上げていた。けど、ほんの少しだけ目が細まる。
重ねた指に何かが触れた。目をやると、センパイは器用にも小指を動かして下から指を絡めていた。
「さぁ、どうだろう」
俺のセンパイはこんな試すような物言いをする人だったろうか。たった一年離れた間に俺の身体が大きく変わったようにこの人もまた変わったのだろうか。センパイの顔がやけに近くに感じる。

「樹」

洗濯室に響いた声に、弾かれたように背筋が伸びた。そこで初めて自分が屈んでいたことに気付いた。顏が近いのは気のせいではなかったし、それは俺の所為だったのだ。
開いたドアに体を挟むようにもたれかかった成宮さんは腕を組んで俺たちを見ていた。
センパイが振り向いて「おはようございます」と言う。固まっていた俺も続いて、おはようございます、と言った。
朝だし、誰かに見られたら気まずいという理由で電気をつけなかったことを後悔した。射し込む朝の光を背負った成宮さんの姿は真っ暗で、瞳だけがやけに光ってみえる。
品定めするように顎を上げた成宮さんはセンパイと、それから俺に目をやると、何も言わずにドアの向こうに消えていった。
なんだったんだろうと立ち尽くしていると「洗濯途中なのになぁ」とセンパイが呟いた。
「呼ばれたから、俺行ってくるね」
それ放っておいていいから、と本格的に回り始めた洗濯機を指して、センパイはドアを開けて朝の光に消えていった。
尊敬する先輩が尊敬する人とホモで、セックスしてて、俺はある種プレイのダシに使われているようなもので、考えるだに気持ち悪いし吐きそうなのにどうして俺のスウェットは膨らんでいるんだろう。



晋二赤松笑えない話






20141124
鳴樹の茶番に付き合わされてしまったがために性癖が歪んだかわいそうな晋二くん(元ノンケ)@まれさん
にめちゃくちゃ興奮したので勝手に書きました。お許しはもらった。