水面から体が浮き上がるような感覚で目覚めた時臣は、椅子に腰掛けたままの姿勢に気づいて苦笑した。転寝など優雅ではないな、と固まった体を伸ばすと不意にずきりと心臓が痛む。一瞬身構えたが、痛みはすぐに過ぎた気のせいだったかと立ち上がり時臣は地下室を出た。ゆらめいていた蝋燭は、時臣が扉を閉めた瞬間ひとりでに立ち消えた。

相変わらずギルガメッシュはパスを切っているらしく気配が感じられない。まったくどこを遊びまわっているのやらと、廊下を歩きながら小さく息を吐いた。最強の英霊であることに間違いはないが、こうも使い勝手が悪いと後悔の念も浮かぶというものだ。おまけに綺礼も失うことになって、……はたと足を止める。そうだ、自分は綺礼と話をするのだった。今夜の飛行機で発つ彼に今後の言伝と、餞別としてアレを渡すのだ。
どこへ行くともなく廊下を歩いていた時臣は、自室を目指して足を進める。アレは引き出しに仕舞ってあるから、あとは綺礼を待つだけだ。会合の後、用意を終えたらこちらに来るように行っておいたからそろそろ着くだろう。ああ、紅茶の用意もしなければ。

どういうわけか、部屋に近づくたびに心臓がじくじくと痛んでくるので、時臣は困っていた。はじめは起きぬけに感じたような一瞬の痛みだったのが、足を進めるたびに時間が長くなり、今はもう常に痛む有様だ。
時臣は痛みに強い。強いというよりは、幼い頃からの修行でそうなったという方が正しい。炎を扱う者ならばその痛みにも耐えられなければ、自身がそれに呑まれるようでは話にならぬと、師である父によって数え切れないほど体を焼かれたのだ。腕、頬、腹、足、中でも生爪を剥がされて剥き出しになった肉を焼かれた痛みは、今でも忘れられない。
体の皮が焼け、肉が爛れ落ちる様を見ても取り乱してはならない。肉を焦がす醜悪な臭いが鼻をついても眉を顰めてはならない。爛れた肉にナイフを突き立てられても悲鳴をあげてはならない。余裕を持って、優雅に、敵を殲滅することだけを考えろ。傷などあとからいくらでも癒せるのだから。
実際、時臣の体には火傷の跡などひとつもない。それどころか瘡蓋の跡すらない。傷を負う都度治すからだ。炎に舐められ肉を焼かれた時臣は、その度に治療され、また炎を向けられた。こうすればこの程度の痛みがくる、ああすればあの程度の痛みがくるとわかった上で繰り返されるそれは、終われば治るとわかっていても恐ろしかった。明日も同じことをするのだと考えて眠れなくなった夜もあったが、目の下に隈を作りながら翌日も時臣は地下室に下り、腕を焼いた。
すべては遠坂の悲願のために。
あの修行に比べれば、刺すようなこの痛みは時臣にとってたいしたことはなかった。部屋の扉が見えて来る頃には心臓に穴を開けられているような痛みになっていたけれど、眉ひとつ顰めずに時臣は絨毯を踏みしめる。もう部屋はすぐそこだった。

扉を開いた時臣は、部屋の中に黄金を見つけて驚いた。この時間に彼がここにいることなど、謀りの夜以来なかったからだ。珍しいこともあるものだと思っていると、ギルガメッシュの向こう側に綺礼がいるではないか。転寝している間に来てしまったのか。
ああ、悪いね綺礼、と声をかけようとして、ふと二人の足元に人の足が見えた。なんだか見覚えのある靴だなぁと思っていると、ギルガメッシュがなにやら話しはじめる。つまらんだの興醒めだの、散々に言いながら爪先を動かしている。きっと倒れている人間を足で小突いているのだろう。綺礼が何事かを返しているのをぼんやりと眺めていた時臣は、そこでやっと思い出したのだった。

そうなると気楽なもので、あれだけ悲鳴を上げていた心臓は水をかけられたようにすっと大人しくなった。自分の胸に手を当てると、ジャケットに穴が開いているのがわかる。剣は抜けているのか、とまたぼんやり思いながら、時臣は二人に近づいていった。
目を開いたまま、彼は仰向けに倒れている。半開きの口と不自然な体勢がまるで寝相の悪い子供のように見えて時臣は嘆息した。優雅じゃない。
文句を言って気が済んだのか、ギルガメッシュは足元で倒れている彼のことなど既に気にも留めていないようだった。時臣にはついぞ向けたことのない愉しげな表情で綺礼に話しかけている。綺礼も、塗れた短剣を手にしたまま笑顔で答えていたので、二人のそんな表情をはじめてみた時臣はまるで子供のようだなと少し微笑ましく思った。
楽しそうにしている二人の間に肩膝をつき、改めて自分の眺めた時臣は、どうしてこんなに楽な気持ちでいられるのかを知った。開かれたままの青い瞳は憎悪に満ちていた。自分を裏切った弟子が憎い、自分よりも弟子を選んだサーヴァントが憎い、サーヴァントごときに裏切られた自分が憎い、大切な短剣をよりによってこんなことに用いた弟子が憎い、ああ綺礼、私を裏切ったな、お前などに凛を任せられるものか、遠坂を任せられるものか、サーヴァントの甘言に耳を貸して私を裏切ったお前などに、ああ、ああ、ギルガメッシュ、よくも私を、私の悲願をくだらないなどとよくも、命令のひとつも碌に聞けない貴様など、これなら余程アサシンの方が使えた、ああ、ちくしょう、裏切り者、裏切り者どもめ、…………

かわいそうに、と時臣は眉を下げる。これが自分の本心なのかと思うと哀れに思えて仕方がない。どろどろと憎しみを湛えた目は、自分を殺した二人を見上げている。足蹴にされ、裏切られて、怨念いっぱいに目を見開いている自分を、時臣はぼんやりと見つめている。同じように二人を見上げてみたが、下から見るとこんな風なのかというだけで、特になんとも思わなかった。これは自分の方こそおかしいのだろうなと思いながら覗き込んだ瞳には子どもが映っていたから、ああやはり、と頷く。いつの間に変わったのか、それとも気づかなかっただけではじめからだったのか、時臣は在りし日の姿で其処に居た。
話が済んで、綺礼はおもむろに膝をつくと時臣の首の後ろに手を差し入れて頭を持ち上げた。じぃと死に顔を眺める、そのすぐ隣に子どもがいることにはまったく気づいていないので、時臣は遠慮なく綺礼の顔を見る。思えば、こんなに近くから綺礼の顔を見るのは初めてだ。口元に笑みを携えたまま死人を見つめるその様はカソック姿と相まってとても慈愛に満ちたものにみえるので、さすが神父だなぁと時臣は感心する。対する自分はといえば、胸に穴は空いているし、目はうつろだし、口から血が垂れているしでまったくもって優雅じゃない。あーあ、と残念に思いながら見やった瞳は、やはり、憎しみのまま綺礼を見つめ返していた。
しばらくそうしている綺礼に、楽しいか? とギルガメッシュが尋ねると、楽しいと綺礼は言う。
「なんともはや、師の相貌はこれほどまでに美しいものだったのだな」
褒め言葉にも彼はひたすら睨み返すだけだ。きっと、憎しみ以外のすべてを私が持ってきてしまったのだ。時臣は綺礼の腕の中で眠る自分にごめんねと言った。


死んだ男の子


(殺してやる)と彼が言うので、「殺されたのは君だよ」と目が合った私の死体に囁く。それでも納得していない様子で綺礼と王を睨んでいたが、綺礼の掌が目蓋にかかり、『私』はゆっくり目を閉じた。





20120429
ひどいことをするもんだ