※プロヒーローになってからのおはなし






「今なにした」
馬鹿にするために今こんなことをしたのであれば、今すぐそのお綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやろうと思っていた。机の下で右手がパチパチと小さな火花を散らしている。準備は整っていて、コイツもそれを分かっているだろうに、眉ひとつ動かさずしっかりと爆豪の目を見つめて口を開いたので。

     〇

本日はこちらの皆様に来ていただいております。と手をかざす司会に続いてカメラがこちらを向く。壇上のヒーローたちが愛想よく笑い、軽く手を振ってみせる者もいる中、爆豪はほとんど表情を変えず軽く会釈するだけだった。カメラの奥にいる広報担当が渋い顔をしてぱくぱく口を動かしている。読唇術を使うまでもなく、もっと愛想よくしろと言っていることが分かったので、爆豪はフンと鼻を鳴らした。改善する様子のないその姿にこれ見よがしに溜息をついて見せた彼はそれ以上なにも言わなかった。いつものことである。事務所に長く務めている彼は、人気はあるが愛想の悪い若手ヒーローを相手にするのも初めてではなかった。これ終わったあと楽屋でうるせーんだろうなぁと考えていると、斜め前で微かに揺れる紅白の髪が目に入った。カメラの奥には収録を見守る各ヒーロー事務所の担当がおり、そのうちの一人が難しい顔をしてぱくぱく口を動かしている。髪をきっちり整えたいかにもヤリ手な妙齢の女性は、ちゃんと笑いなさい、というようなことを言っていた。
その後簡単な自己紹介に移ったが、ご自身を一言で! というフリに本当に一言だけで済ませた男を鬼のような目つきで睨む女性に(アンタも大変だな)と心の中で呟く。事務所の人間に睨まれてもどこ吹く風という様子で、轟焦凍は姿勢よく鎮座していた。


若手ヒーロー特集なる番組は、毎年初夏や秋口頃に各局で放送される。初夏の番組では主に卒業前から注目されていた期待のルーキーたちを、秋口には頭角を現してきたヒーローや、半年経ってヒーロー活動にも慣れてきた新人ヒーローたちの様子が放送されるのだ。大体の内容は同じだが、局により注目するヒーローは微妙に異なっていた。その辺はディレクターやスポンサーの好みによるのだろう。もちろんルーキーとして特集を組まれ、さらに活動実績を積んだ期待の新人として何度も番組に出る者もいる。爆豪と轟はそれだった。
本日呼ばれた十人の若手ヒーローの中に知った顔はいくつか見かけたが、元クラスメイトは轟だけだった。同局の夏の放送には、緑谷や切島、麗日など馴染みのメンツもいたのだが、今日この場にいないのは都合がつかなかったか、または別局の番組に出ているのかもしれない。大人の事情というやつだ。
爆豪だって来たくてここにいるわけではなかった。目立つことは好きだが、テレビはとかく面倒で嫌いなのだ。無駄な待ち時間も多いし入り待ち出待ちをする者もいる。再三の拒否を無視して爆豪を引っ張ってきた担当者を睨むと、遠めでも分かる仕草で笑われた。いつものことである。
滲み出る怠さを隠そうともしない爆豪に構うことなく、司会と補佐の女子アナが元気な声で番組タイトルを叫び、いよいよ収録が始まったのだった。


十人もいれば一人当たりに割く時間は少なくなるのだが、そこは民放視聴率主義である。人気の高いヒーローへより多くの時間を当てるのは当然のことであり、雄英高校在学中から注目を集めてきた二人は当然他のヒーローより多めに話題が振られた。しかし二人ともべらべら喋るタイプではないので、話している時間自体はそれほど多くない。むしろ口達者なヒーローが話す時間の方が物理的には長いが、おそらくほぼカットされるのだろう。自分のため、そして事務所のために一生懸命アピールしているというのに不憫極まりない。生放送ならともかく、話していること自体がなかったことにされることも少なくないのが爆豪がテレビ収録を嫌う要因でもあった。せっかく真面目に話してやったのに中途半端なところだけ抜き取られ、それを面白おかしく編集されたものが全国放送されたときの屈辱といったら。真面目な話であればそれなりに対応するが、学生時代の思い出だの初恋のエピソードだの、雑談でしかない話題を振られた時は適当な返事をするようにしている。先程その対応であっけなく出番が終了した爆豪は、のんびりと退屈を過ごしていた。
二段に分けられたひな壇の上段が終わり、続いて下段に座るゲストに移る。ひとり、ふたりと話が終わり、カメラは爆豪の斜め前に寄った。つむじの真ん中で綺麗に色が別れている頭は、近づいてきたカメラに向けて少し動いたようだった。
続きましてはこの方、うんぬんかんぬん女子アナが手元の資料を読み上げる。聞き飽きた紹介文に小さく欠伸をした爆豪を、見逃さなかった担当が睨んでくる。ちゃんと噛み殺したし、カメラに写らないようにはしたぞと睨み返している間に、スタッフが正方形の箱を持ってきた。
この番組では、ゲストが箱の中から紙を引き、それに書かれているテーマに沿って話をするという形式が取られている。テーマ自体はありがちだし、そもそも事前にこういうテーマを用意していますと番組側から提示があるので、どれに当たるかは当日次第でもそれほど困ったことにはならない。爆豪は今回『高校時代の思い出』を引いたので、無難に雄英体育祭のことを話した。
コイツは何を引くのだろうかと見ていると、箱の中から取り出した紙を広げた轟は、一瞬それを眺めてからスタッフに渡した。巡り巡って紙を手渡された司会は、おぉ、と面白そうな顔をする。横から顔を覗かせた女子アナも期待するような顔つきになった。
「ショートさんが引いたのは、『甘酸っぱい思い出』〜!!」
司会の言葉に、奥で観覧していた一般客がワッと声を上げた。甘酸っぱいといえば恋の話題だろう。注目度若手ナンバーワンヒーローの恋バナなんて誰だって聞きたい。ゲストのヒーローたちも期待にざわつく中、爆豪は今度こそ口を開けて欠伸をした。

     〇

「キスした」と轟は言った。なんでそんなことを聞くのかとでもいう様な顔さえしていたので、爆豪の口からハァ? と声が出た。素だった。ふざけた答えだったら、いやふざけてなくとも顔面爆破の刑に処してやろうと思っていたのに、おかしいことなど何もないと、至極当然という顔をするものだから逆に言葉が出てこない。爆豪が思わず素っ頓狂な声を出してしまうほど、その顔は当たり前の皮を被った傲慢に満ちていたのだ。
結局、口を開いたまま喋らない様子を見ていた轟が暫くの後に教室を出て行っても、爆豪は椅子に座ったままその背中を見送ってしまったのだった。
ある放課後のことであった。

     〇

甘酸っぱい思い出というテーマで轟が持ちだしてきたのはバレンタインの話だった。学生時代気になっていた相手が居て、というところでまず冷やかしが入り、その人にチョコを渡そうとしていた、というところでツッコミが入る。
「つまり逆チョコってこと?」
司会の言葉に、逆チョコとは、と不思議そうな顔をする轟へ隣に座っていた女性ヒーローが小声で説明する。ふむふむと小さく頷いた轟が「逆チョコです」と言うと、何故かオォー! と歓声が上がった。何がオォーなのか。ここにいる全員バカだと爆豪は思った。
轟の話は要約すると、気になっていた相手にチョコを渡そうとしたが気恥ずかしくて渡せず家に持ち帰り自分で食べた、というだけのことだった。男の立場だというのは珍しいが、展開自体はそう珍しいものでもない。盛り上げようという意識すら感じられない淡白な話し口でも話題的には十分なようで、いつの話か、相手はどんな子かとあの手この手を使って司会が尋ねる。いつの話かという質問には学生の時、の一点張りで具体的な時期は明言しなかったものの、どんな子かという質問には「肌が白かった」と答えていた。
「へぇ〜色白な子だったんだ。キレイ系? かわいい系? 」
「かわいらしい感じではなかったですね」
じゃあキレイ系だ! 盛り上がる一向に、小さな笑みを浮かべた轟は「そうでもないですけど」と言う。苦笑に近い表情だった。足元に置かれた出演者用のモニターいっぱいに映るそれを眺めながら、爆豪は楽屋に置いてきた弁当のことを考えていた。有名焼肉店の仕出し弁当らしく、大層うまかったと収録前に話したヒーローが言っていたのを思い出したのだ。体を動かすこともないし食べかけの弁当を置いていくのも嫌なので、手を付けずに出てきてしまったことを少し後悔していた。彼は腹が減っていた。
早く終わんねぇかなとぼんやり考えていると、急に女子アナが爆豪の名前を呼んだ。
「どうですか、ショートさんの意中の相手に心当たりなどあったりしますか?」
いくら尋ねても学生時代がいつの時期なのか話そうとしないので、高校生活を共に送っていた爆豪に聞いてみることにしたらしい。
んなもん知るか。と言いかけて、カメラの奥から睨んでくる視線に口を噤む。
スタジオ中から一気に集まる視線が煩わしい。その中には轟もいた。目が合ったのは一瞬だ。すぐに女子アナの方を向いた爆豪は、んなもん知るか、という言葉を彼なりのオブラートに包んで返してやった。


楽屋に戻った爆豪が焼肉弁当を食べていると、ノックの後にドアが開いた。
「誰が入っていいっつった」
少し固まった米をほぐして口に運びながらと言うと、机の近くにやってきた男は「ノックしただろ」と平坦な声で返した。
「それうまいか」
「冷めてなけりゃな」
「一口くれ」
無視して弁当の残りをかき込み、ペットボトルの茶を半分ほど一気飲みした爆豪は、濡れた口端を指で拭いながら顔を上げた。
「なんか用かよ」
「いや、別に」
「ア?」
コイツ喧嘩売ってんのかな、と思ったがそれにしてはあまりに普通の態度である。いや、よくよく考えてみればこの男は普通の態度でもって勘に障るようなことを言い出すのだ。
卒業してから久し振りに会ったわけでもない。そもそもまだ一年も経っていないし、活動拠点も近いので顔を合わせる機会は少なくない。かといってわざわざ会いに来てまで話す仲かと言われると間違いなくノーと答える程度の交遊関係だが、轟は今まさにわざわざ爆豪に会いに来ているのであった。
緑谷のように分かりやすければまだいい。彼はすぐ顔や仕草に出るので、付き合いの長さもあって大体どんな事を考えているのか爆豪も分かる。コイツら足して2で割ればちょうどよくなるんじゃねえかなどと考えていると、ほとんど真顔の轟がふらりと寄ってきて、弁当の空箱とペットボトルの合間を縫って机に右手をついた。
一瞬だった。
唇に柔らかい感触を感じたその瞬間に爆豪は右手を振り上げ、顔に当たる前に轟が止めた。掴んだ手首の少し上ではパチパチと火花が散っている。力が拮抗して小さく震えている二本の腕を視界の端に置きながら、爆豪は尋ねた。
「今なにした」
轟は答えない。爆豪はもう一度だけ言った。
「今、俺に、なにした?」
すぐ目の前にある顔は相変わらず表情筋に動きがない。いつだか幼馴染が言っていた「轟くんすごく笑うようになったよね」という言葉がふと思い出されたが、どう考えても嘘だ。それ多分てめェにだけだろ。詳しいことは知らないが、轟が緑谷に懐いていることは見ればすぐにわかる。
涼しい顔をしながら爆豪の右手を抑えている轟は、自分を睨む瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら口を開いた。
「キスした」
それがどうした、と言わんばかりの声音である。挙句「前もしただろ」なんて続けるもんだから、爆豪は急に馬鹿らしくなって腕の力を緩めた。前もしただろって。さも合意であるかのような言い方だが、爆豪に言わせればあんなもん通り魔みたいなものだ。キスに夢みる女でもなし黙っていたが、実は爆豪勝己の人生におけるファーストキスである。キスのひとつやふたつで騒ぐほど潔癖ではないが、さすがにこんなやり方をされては言いたい事は山ほどあった。
掴まれた腕を振りほどき、椅子の背凭れに置きながら何故こんなことをしたのかと尋ねると、轟は平然と口を開いた。
「さっき昔の話したから、したくなった」
「てめぇの昔話と俺と何の関係があるんだよ。まさか俺にチョコ渡そうとして渡せなくてテメーで食べたっつー話じゃねえだろうな」
「そうだ」
「うわっ……」
爆豪は顔を歪めた。
「ちゃんと美味く出来てたぞ」
「そっちじゃねえよ」
ムッとした顔をする轟に呆れて天井を仰ぐ。手作りチョコの出来栄えなどどうでもいい。天然なのか馬鹿なのか、いや馬鹿だなこいつは完全な馬鹿だと、爆豪は大きく息を吐いて顔を戻した。馬鹿と話すのは疲れるが、もっと重要なことを聞かなければならなかった。
「俺のこと好きなのか」
小っ恥ずかしいセリフを口にしながら、爆豪は肌が粟立つのが分かった。漫画でこんなセリフを吐く男を見るたびに鼻で笑っていた自分が、今やおんなじことをしている。
なんでキスした。したくなったから。昔もしたからいいかと思って。じゃあそもそもなんでキスしようと思ったのだろうか、この男は。
轟がこういう類の悪ふざけをするタイプなら話はもっと分かりやすかったのだ。ふざけんじゃねえと一発殴れば済んだ。二度とすんなよと言えばそれで終わり。何をごちゃごちゃ考える必要もない。爆豪は勝手のわからない面倒なことが心底嫌いなので、明瞭な答えを手に入れるのにあれこれと過程を踏まなければならない今の状況が鬱陶しくて仕方なかった。良くない気分である。良くないといえば先程から見下ろされているのも爆豪の癪に障っていた。片や椅子に座り方や立っているのだから仕方のないことだが、愛想の欠片もない顔で見下ろされているのは良い気分ではない。
その轟はと言えば、爆豪の言葉にほんの僅かに首を傾けると、言うに事欠いてこう告げた。
「わからねぇ」
爆豪の右足が轟の膝を蹴り飛ばす前に、瞬時に出来上がった小さな壁がそれを防いだ。砕かれた氷の塊がガシャンと音を立てて床に散らばる。足元に転がったそのうちのひとつを、爆豪が思い切り踏み砕いた。
「ブッ殺すぞ。ふざけんのも大概にしろ」
「ふざけてるつもりはねぇんだが……」
ぼやく轟は不思議そうだった。なぜ怒るのかと困惑すらしている様子に、結論が遠くなっていくようで爆豪はまた腹を立てた。
「テメーはおふざけで男にチョコ作んのか?」
「作らない」
「嫌がらせのために男にキスすんのか?」
「するわけないだろ」
「じゃあ好きなんだろうが!」
爆豪の言葉に、轟はハッとしたように目を開いた。「そうか……」呟いたきりなにやら考え込み始めた轟を尻目に、爆豪は鼻を鳴らしてペットボトルを掴んだ。蓋を開け、茶を飲み、また蓋を閉めて元の場所に戻してから、ようやく事のおかしさに気付いた。
「待て待て、違う、違った今のは忘れろ」
「好きなのか……」
「ちげーーーっつってんだろテメェ考えるのやめろ! おいコラ!」
とんでもなく恐ろしい間違いをしてしまったことに気付いたが時すでに遅し。顔を上げた轟は迷いの晴れたような表情をしていた。
「爆豪、悪かったな。俺今まで人を好きになったことが無くて、こういう気持ちがなんなのか分からねぇままキスしちまった」
「そういう自分語りは聞きたくねぇんだわ」
「なぁ、もっかいしていいか?」
「いいわけねーだろ!」
近づこうとすると、両手を爆発させながら帰れ! 出て行け! 死ね! と爆豪が騒ぐので、轟は大人しくドアに向かった。
「あとで連絡する」
廊下に出る直前、振り向いた轟が言った。引っ掴んで投げたペットボトルは虚しくもドアに当たって床に落ちた。 連絡する、と言った時のあの顔ったら。思い出すだけで腹が立つ。そうして腹を立てている勝己に、記憶の中の幼馴染が訳知り顔で囁くのだった。

ね? 轟くん、笑うようになったでしょ。




20151004