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「えー裕次郎! えー!」 呼び声に、窓際で女の子と喋っていた甲斐が顔を向けると、教室の入り口から平古場がこいこいと手招きしていた。今忙しいから邪魔するなという意味を込めてシッシと手を振りかえすも「いいからへーく来い!」と大声を出されてしまっては無視するわけにもいかず、呼んでるよと気を遣ってくれた女の子に謝りながら甲斐は椅子から立ち上がった。 「ぬーがや凛。わんの青春邪魔すんなし」 「いやいや、それどころじゃねーあんに」 がしっと肩を掴まれて廊下へ引きずり出される。休み時間なのでそこら中に生徒はいたが、皆自分たちのことで頭がいっぱいなので、廊下の隅にしゃがみ込んだ二人を気に留める者はいなかった。 「なによ」 「やー、噂ぬくとぅ知っとる?」 「噂?」 「わんもきさ偶然聴いちまったんだけどよ…」 もったいぶるようにごくりと唾を飲んだ平古場は、意を決したように呟いた。 えーしろー! えーしろー!! フラー! やめれー死ぬ気か!! 廊下の向こうから騒がしい声と足音が近づいてくるのを聞いた木手は、これは後でゴーヤーですねぇと考えていた。ばたばたと近づいてきた足音たちは後ろの教室のドアを勢いよく開けると「えーしろー!」と大声を出す。甲斐だ。その後ろでは慌てた様子の平古場がやめろやめろと引き留めていた。 もうこれだけでロクなことが起こらないだろうことはわかっていたが、木手は仕方なく「なんですか甲斐クン」と返事をしてやった。座ったまま右に体を向けると、机の隙間を縫ってこちらへやってくる甲斐の後ろからこの世の終わりのような顔で平古場がついてくる。馬鹿みたいに大きな音を立ててやってきたものだから教室の視線が一体何事かとやんわり集まっていた。それを感じている平古場はげっそりとしているが、そういう所に気の回らない甲斐は木手の前まで来ると気にせず口を開いた。 「永四郎ってゲイやが?」 終わった、と平古場は覚悟した。わったーの最期はゴーヤーによる窒息死か撲殺で決まりさぁ。 せめてざわついてくれればまだよかったものを、教室中が冷や水を打ったように静まり返っている。木手から数列隣の、窓側の席にいる不知火がまったく関係ないのに自分までも終わったというような顔をしていたので、平古場は何かあったらせめて不知火だけは守ってやろうと思った。 沈黙の後、木手がおもむろに腕を組む。へぇ…といつもの仕草で眼鏡を直してから「甲斐クン」と尋ねた。 「それ、誰に聞いたの」 「凛!」 終わった……平古場は泣いた。そうですか、とこちらに顔を向ける木手に「あらん、あらん、わんも聞いたんやしぇ、わん発信じゃねーし」と必死で弁解するも、あまり意味はないんだろうなとは自分でもわかっていた。そもそも大騒ぎしながら木手のクラスにやってきた時点でゴーヤーは決定事項である。ブルブルと震えながら判決を待つ平古場に、意外にも木手は「とりあえず座りなさい」と着席を求めたのだった。 「で、誰がそんなこと言ってたんです」 「いやぁ誰っつーか…たまたま廊下で話しちょん聞こえたわけさー。あったーもくぬ噂又聞きしたみたいやしぇ」 地べたに正座する平古場に、ふぅんと木手が返す。「わんはねー、きさ凛から聞いたよ」「それは俺も聞きました」木手の前の席を拝借しながら話す甲斐にお前は黙っててくれと平古場は心底思った。 いつもは騒がしい休み時間であるが、今日に限っては遠慮するような密やかな声が響くばかりである。皆それぞれ会話はしているものの、教室のまんなかで行われている話が気になって仕方ないのだ。木手の席はほぼ中央にあるのでちらちらと向けられるクラス中の視線がぐるりと三人を取り囲んでいる。平古場は胃が痛くなってきた。 「あ、あぬさー永四郎…」 「なんです」 「くぬ話ヨソでやらん? ここじゃちょっと…」 「何言ってるんですか」平古場の言葉にぴしゃりと返す。 「そんなことしたらこっちからネタをばらまいてるようなもんでしょ。やましいことはないんだからここで話せばいいんです」 さすが主将、この程度のことではまったく動じていないようだ。しかしそれに水を差すのが我らが比嘉中テニス部副部長のこの男である。 「やしがよー、えーしろーはゲイなんが?」 ギィギィと椅子を揺らしながら尋ねる顔は無邪気だ。何も考えていない。木手のゲイ疑惑が真実にしろ偽りにしろ自分たちを待ち構えているのは緑色の化物だというのに、こいつはまったく後先のことを考えていないのだ。せめて化物に見舞われるのを最小限に抑えようだとか、そういうことは甲斐の頭にはない。幼馴染がゲイなのかそうでないのか、甲斐の頭には今それしかなかった。 おまけに「永四郎がいきがじょーぐー(男好き)やてぃ、ずっと友達やっし!」などとほざきやがる。こいつは後先どころか自分の発言すらもよく考えてない。 甲斐の神をも恐れぬ発言に平古場だけでなく教室中が固唾を飲んでいた。ゴーヤーならまだいい方だ。下手したら沖縄武術が出るかもしれない。全員段持ちではあるが、部内では木手が一番なので手を出されたら終わりである。 無駄に張りつめた空気を感じながら、木手は正面の甲斐を見る。甲斐は、先ほどの口調の割には真面目な顔をしていた。この頭の足りない副部長は今回の問題に対して足りないなりに真剣に考えていたようだ。 はぁー……と長い溜息を吐いて、木手は手に取った下敷きで甲斐の頭を叩いた。次いで床に正座している平古場の頭も叩く。ペコ、と気の抜けた音に平古場が顔を上げると心底呆れた顔で「平古場クン」と木手が言った。 「今度そういうことを言っている輩を見つけたら、ちゃんとどこの誰だか調べてから来なさい」 いいね? という念押しに頷く。君もですよと言われた甲斐も、やんやーと軽い返事をした。 「というか、部長がそんなこと言われてるの聞いたならその場でどうにかしなさいよ」 「だからよー、じゅんに通りすがりやったんばぁよ」 「そんなの理由になりません」 「へーい」 「えー、んでえーしろーは…」 「やーもう黙らさんけー!」 なんでお前は寝た子を起こすような真似をするのかと平古場が声を荒げたところで予鈴が鳴り、方々に散らばっていた生徒たちが各々教室に戻り始める。これ以上余計なことを言わない内にさっさと帰ろうとした二人だったが「お待ちなさい」と呼び止められて渋々振り返った。椅子に座ったままの木手は笑っていた。 「二人とも、あとでゴーヤー食おうね」 「そ、それは勘弁…」 「食おうね?」 「えーしろ…」 「ね?」 返事は? と言われたわけではないが、レンズの奥から伝わってくる圧力に二人は力なく返答するしかなかった。 *** 「んじ? 結局どっちなんだってば」 夕暮れの帰り道、甲斐の口から出たのはそれまでの会話からは脈絡のない言葉だった。隣を歩く木手はため息をつく。 「君はいつも言葉が足りませんねぇ」 「あり。昼間の」 「どっちだと思う?」 「えぇ?」 なによぉそれ、と今度は甲斐が困った。「昼間はあらんってあびたん」「『違う』とは言ってませんね」「…じゃあ…?」「肯定もしてませんけど」「えぇ…」なにそれ…と甲斐が呟く。難しいことを考えるのは苦手だ。 うんうん唸る甲斐は、五十メートルほど歩きながら唸り考えたところで顔を上げた。 「じゅんに、永四郎がそうでも、ずっと友達よ」 わんはいつでもえーしろーぬ味方やし、と言い切る甲斐に、よくもまぁ随分と恥ずかしいことを言えるものだなと木手は思う。というか昼間から感じていたことだが、この言い方から察するにこいつはよもや俺のことをゲイだと思っているのではあるまいな? 「あい…でもよー。永四郎がじゅんにゲイやたんら、もうまじゅん帰ぇれねーらん?」 「どうして」 「やしが噂とかされると恥ずかしいし…」 「この俺と噂に? 光栄に思いなさいよ」 存分に自慢しなさい、と悪い笑みを浮かべる木手は、見かけによらず案外ノリがいいことを知っているので、甲斐はゴーヤーの恋人なんて嫌さー! と笑った。 20130506 緑色の恋人(はお断り) |