可愛がっていた犬がいた。子犬より少し大きい程度の育ちで、愛嬌はあったがいつも小汚かった。野良犬だったろうその犬は甲斐が通学に使う裏道をよくうろついていたので、動物好きの甲斐は毎日のように犬を構っていた。
 甲斐はよく、そこへ木手を連れて行った。可愛がっている犬を見せたいというのと、自分にだけ(と甲斐は思っていた)懐いている犬を見せびらかしたいという思いがあったのだ。近づくと嬉しそうに駆け寄ってくる犬はまさしくその通りよく懐いていたので、甲斐はしゃがみこんで走ってきた身体を抱きしめてやる。
「みてみて、えーしろー! ちゅらかーぎーやし?」
 自分の犬でもないのにどこか自慢げな顔をする甲斐にそうだねと頷いたものの、木手は少し潔癖のきらいがあったので野良犬を撫でてみたいとは思わなかったので、大体は何をするでもなく、じゃれつく一人と一匹を少し後ろで眺めていた。

 ランドセルをかこかこ鳴らしながら走ると犬が後ろをついてくる。甲斐はそれが嬉しくて堪らなかった。よっぽどうちで飼ってやりたいと思ったが、祖母が動物を苦手としているのは甲斐も知っていたので犬を飼いたいと口にしたり家の近くまで連れてくるようなことはしなかった。学校の行き帰りに遊んで、たまに給食の残りをあげて、それで飼っているような気になっていた。
 今日も今日とて甲斐はこっそりくすねてきた残飯を犬にやっていた。すると犬は、半分平らげた後は残りを咥えておもむろに歩き出した。どこに行くのかと後をついていくと、犬は少し離れた草むらを分け入り周辺で一番の大木の根元で足を止めた。犬は慣れた様子で穴を掘るとある程度の深さになったところで咥えていたものを落とした。
 ひょいと顔を覗かせた甲斐に、犬は少し慌てたように穴を埋め始めた。土の間からは今しがた落とした半分の食事やゴミだか玩具だかわからないようなものが色々と見える。そういえば犬には自分のお気に入りを集める習性があるのだ誰かに聞いた気がする。
 はぁやぁ、ここは宝箱なんばぁ。
 と理解した甲斐は、大人しく顔を引いて犬が穴を埋め終えるのを待った。甲斐だって自分の宝箱をジロジロと見られたらいい気分はしない。しばらくすると、膝を抱えて座っている甲斐の元へ一仕事終えた犬が寄ってきた。甘えた声を出しながらすり寄ってくる頭を撫でてやるともっと撫でろとせがむように押し付けてきたので、甲斐は両手で犬の頭を挟む
「わったー、これからもずっと一緒にいようね」
 やくそくね! と揉みくちゃに撫でられた犬は、一際大きい声で鳴いた。


×××


 その日、木手が裏道を歩いていると甲斐が蹲っていた。蟻でも見ているのかと思ったがそんな楽しそうな雰囲気ではない。いつ見ても留め具が外れっぱなしのランドセルがないので一度家に帰った後なのだろう。委員会の帰りだった木手は教科書の詰め込まれたランドセルを背負い直した。
「裕くん?」
 返事はない。いつもなら木手に呼ばれたらすぐに顔を向けるのに。この時点で木手は大方の察しがついていた。
 ゆっくりと近づくと、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえた。もう一度甲斐の名前を呼ぶと今度は顔を上げた。真っ赤に腫れあがった目と足元に横たわる犬に、やっぱりねと木手は思った。こんな裏道でも車は通るのだ。
「えーしろー……つめたくって、うごかねぇさ」
「うん」
「……けーまーちょーんぬみ(死んだの)?」
「……」
 何も言わない木手に、甲斐は鼻を鳴らしながら腫れた瞼をこすった。「あらんよ、こすったら」手を掴みやめさせると充血した瞳からまた涙がこぼれる。可哀想に思った木手は腫れた瞼にキスをしてやった。最近妹によくやっているおまじないだ。妹は絵本か何かでこれを見つけたらしく、少し前から寝る前などにねだってくるようになった。甲斐は木手の妹ではなかったが、やんちゃで無鉄砲な様子は大人びた木手からしてみれば年下のようなものなので大差はない。
「ぬーするばぁ」
 甲斐は驚いたように木手を見たが、
「おまじないだよ」
 と言われるとそういうものかと納得してしまい、反対の瞼にキスをされる頃にはすっかり大人しくなっていた。木手のいうことは大体正しいので、甲斐に疑念はなかった。


 落ち着いた後、この子を埋めてあげようと木手が言った。このまま放っておいたら無残な姿になる。それはかわいそうだ。木手の言葉に、まだ少し赤い鼻をひくつかせながら甲斐は頷いた。
「わん、いいとこしってる」
 冷たい犬を抱いて向かった先は大木の根元だ。宝物と一緒に埋めてやれば犬の気もいくらか晴れるだろうという思いだったが、おそらくは犬よりも自分の為だった。こうしてきちんと弔いをしたという達成感で慰めようとしていたのだ。
 確かこの辺、と検討をつけて土を掘る。道具もなにもないので四本の手で土を抉り出していくが中々の重労働だ。甲斐などはそれこそ犬のようにざくざくと勢いよく指を突っ込むものだから、埋まっていた石やら枝やらを引っ掻いてしまい、その度にあいひゃあと声を上げていた。
 淡く日に焼けた指が爪の間まで土色に染まる頃、やっと宝箱に到達した。土の中にはあの日見た玩具やらが転がっている。放り込んでいた残飯は既に分解されたようで、生ゴミ特有の悪臭はなかった。
 甲斐はそっと犬を持ち上げ、穴の中に横たえた。少し穴が小さいかもしれないと思っていたのに簡単に収まってしまう。この犬はこんなにも小さかっただろうか。
「……ばいばい」
 ぽつりと呟き、掘り出した土を掬ってかけていく。地中の土はふわふわとした感触だからきっと犬も安らかに眠れるはずだ。黙々と土をかけていく甲斐に倣い、木手もせっせと手の平で土を運んだ。

 穴を埋め終わった木手が顔を上げると、空は茜色と紫を混ぜた色になっていた。一番星が小さく光っている。
「……えーしろー……」
 甲斐は盛り上がった土の表面を見つめている。泣いてこそいないが、すぐにでも泣きだしそうな様子に腕を伸ばして土まみれの手を握る。元気のない幼馴染が安心すればいいと思った。
「もう帰ろうね」
「うん……」
「あした、お花もってこよ?」
「ん……」
 促され、立ち上がった甲斐は木手より半歩後ろを歩いた。それは木手が甲斐の手を引いて歩いていたからそうなっただけで特に意味はなかったが、甲斐からは繋がれた二本の腕が見えた。真っ黒い手は夕暮れの頃と相まって何かひとつの物のように見える。手がくっついてしまったらえーしろーとずっと一緒だから、えーしろーが死ぬときは自分も一緒に死ぬのだろうか。穴の中にふたりなら、それならさみしくないねと甲斐は安心した。








 部室裏のゴーヤ畑にしゃがみこむ木手をみて、甲斐はぼんやりとそんなことを思い出した。壁に寄りかかって見下ろす木手はせっせとゴーヤの世話を焼いている。甲斐にとっては忌々しい以外の何物でもないそれも木手に言わせれば我が子のように可愛いらしく、時折よく育ちましたねぇなどと声をかけている。こいつらが育ったらまたわったーはいじめられるんばぁ…と思うと今すぐめちゃくちゃにしてやりたくなった。
 部活の前に手入れをするのは木手の日課であり、誰もがそれを知っていた。もちろん甲斐も知っていたので着替えた後にすぐここへ来たのだ。特に用があるわけではなく、なんとなくだった。
 時間の確認はしていないので部活が始まるまであとどれくらいかは分からないが、木手はいつもきっかり五分前にコートに現れるのでそれについていけばいい。こうしてざくざくと土を耕している所をみるにまだ少し時間はあるのだろう。当の木手は、ふらりとやってきた甲斐を一瞥したきり忙しく世話をしている。スコップで土をいじる姿を見て、甲斐はふと昔を思い出したのだった。
「えー、永四郎やー」
「なんです」
「覚えちょる? 昔よー、いんぐゎー埋めたん」
「……あぁ、」そんなこともありましたねぇと作業を続けながら木手が言う。
「あぬ後わったー手つないで帰ぇってさー」
「甲斐クンが泣きべそかいてたから」
「そうだったっけかやぁ?」
「そうですよ。えーしろーって泣きそうな声出して、まったく不細工な顔でした」よ、と顔を上げた時にはもうすぐ傍に甲斐がいた。何を言う間もなく左目尻をちゅうと吸われてそのまま右も同じようにされる。汗を舐めたのだろう、しょっぺぇと唇を拭った甲斐は、ヘヘッと笑って「えーしろーの真似」と言った。
「……そんなこともしましたね」
「だからよー。いきなりおまじないだーってちゅーされてからに」
「そういうことばっかり覚えてるんですから」
 これが少しでも勉学に向けばと溜息を吐く木手は、おもむろに立ち上がるとシャベルを手に取り、畑から少し離れた木の根元を掘りだした。足を掛け、土を掬い、ざくざくと穴を掘り進めていく背中に何をしているのかと尋ねると、ゴーヤを埋める穴を掘っているのだ言う。
「ボールが当たってしまったり、あんまり育ちが悪いものはこうして埋めるんですよ」
「ふぅん」
 穴を掘る木手を眺めていた甲斐は再び犬のことを思い出す。これは誰にも秘密だが、甲斐はあの犬にこっそり名前を付けていた。それまで毎日のように遊んでいた幼馴染と学校が離れてしまい、さみしく思っていた時にあの犬と出会った。
 木手は、甲斐が名前を呼ぶとすぐに「どうしたの」と傍に来てくれた。小学校に上がってからは家まで行くか道場に行かないと木手には会えない。甲斐はもっとたくさん一緒に遊びたかったのだ。


 掛け声や吹奏楽の音なども聞こえてきたのでそろそろ部活が始まる頃だろうが、せっかくだから一緒に行こうと甲斐は待つことにした。どうせ木手がいないと始まらないのだ。
 土を掘る音なんてたいして大きくないはずなのに、なぜだか甲斐の耳にはシャベルが土を抉る音がよく聞こえた。ざくりざくりと耳慣れないそれがやけに耳につく。どの程度の穴を掘っているのかここからは見えないが、『えーしろー』や幼い自分たちが掘ったものよりは深いはずだ。なにせ道具付きだ、さぞや掘りやすいことだろう。掘り返した穴を埋めるのだって今の自分なら楽勝だ。
 木手は穴を掘っている。あの日、甲斐が幼馴染と同じ名前を付けた犬を埋めたときのように、木の根元を掘って大好きなゴーヤの亡骸を埋めようとしている。犬にはお気に入りのものを埋める習性があるのだと教えてくれたのは誰だったろうか。(その頃の甲斐の隣にいる相手は大抵決まっていたのだが。)
 一通り穴を掘り終えた木手がシャベルを置いてゴーヤを集めはじめたのを見て、甲斐は寄りかかっていた壁から体を離した。







 部室の裏に主将の自家ゴーヤ畑があることは部員なら誰でも知っていることだ。もちろん平古場もよく知っていたし、とれたて新鮮なそれを食わせられたこともあるので極力近寄りたくなかった。しかし部活開始の時間になっても木手がやってこないものだから、仕方なく探索に出たのだ。
 時間に厳しい木手が遅刻とは珍しいこともあるもんだ、と思いながら嫌々に部室の裏へ向かう。どうせここに居るだろうことはわかっていた。部活の前に畑の手入れをしていることも皆知っているのだ。
「えいしろー、部活はじめんぞー」
 角を曲がった平古場の目に入ってきたのは予想とは違う顔だった。突然現れた平古場に甲斐が首を傾げる。
「なんだぁ凛、ちゃーさびたが?」
「それわんの台詞やっし。ぬーんち裕次郎がここにいるさ」
「んー? フフッ」
 尋ねると、シャベルを片手になにやら楽しそうな声を返される。んふふとニヤつく顔に、またろくでもない悪戯でもしていたのかと思った平古場は、巻き添えはごめんだとそれ以上近づくのをやめた。
「永四郎見なかったか?」
「見てねーらん」
「はー、ちゃーすがやー」
「まだ来てねーらんぬか?」
「だあるよー……へーくしねーと晴美のヤローが来ちまうんに」
「きさトイレ行ちゅんってあびたんよ」
 入れ違いになってっかもな、と言われて平古場は顔を顰める。とんだ無駄足だ。
「んじゃーわん先に行ちゅんしが、裕次郎もがんまりほどほどんかいしとーけ、へーく来いよー。今日は砂浜ダッシュやっさ」
「あいー」
 少しでも早くゴーヤから離れたい平古場はそれだけ言うとさっさと戻ってしまった。甲斐は去っていく背中を眺めていたが、光を反射する金髪が豆粒ほどになったところで再び手を動かし始める。半分ほど埋まった穴に、土を掬ってはかけて、また掬ってはかけてを数回繰り返せば穴はすっかり塞がった。
 表面の少しこんもりとした土を満足気に叩いた甲斐はシャベルをその辺に放って部活へと向かう。盛り上がった土の横には、穴に入り損ねたのだろう潰れたゴーヤが捨て置かれていた。

南のが死んだ




(20130515)